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安政江戸地震と天才絵師・国芳 幕府を風刺 (1/2ページ)

 11月11日(新暦)は安政江戸地震(1855年)が起きた日だ。この地震は江戸の中心部に甚大な被害を生み、日本の内陸で起きた地震で最大の死者を出してしまった。震源は隅田川の河口付近だった。

 だが、これだけの大被害を生んだ都市直下型地震だったのに、被害が集中したのは比較的狭い地域だけだった。

 埋立ての歴史の浅い隅田川東岸の深川などでは、甚大な被害を生んだ。また、日比谷から大手町、神田神保町、現在の皇居外苑である西の丸下といった谷地や川を埋め立てた地域でも、建っていた大名家敷が軒並み全壊してしまった。

 現代の地震学の知識からすれば、被害が集中した地域は沖積層が厚いところだったのである。

 他方、山手地区は台地の上なので被害はそう多くはなかった。意外なことに日本橋地区の大半や銀座などでは、元は海だったのに被害が小さかった。これは埋没した洪積台地が地表面のすぐ下にあったためだと考えられている。

 これらの「教訓」は、これから襲って来る首都圏直下型地震にも、もちろん当てはまるにちがいない。

 ところで、歌川国芳(1798~1861年)がブームだ。庶民に受ける錦絵(色鮮やかな多色刷りの浮世絵)を多数描いて一世を風靡(ふうび)した、江戸時代末期の浮世絵師。江戸時代末期のスターだった。

 だが、天保の改革で風紀粛清がうたわれて浮世絵も役者絵や美人画が禁止されてしまった。これは画家にとっても大打撃だった。

 しかしその後も国芳は、いろいろな手法を使って禁令を巧みにくぐり抜けた。幕府を風刺する国芳に江戸の人々は大きな喝采を浴びせた。

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