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戦時下に起きていた「逆神風」 国民の戦意喪失を恐れ厳しい報道統制 (1/2ページ)

 日本人が知らされていなかった大地震があった。

 それは三河地震。1945年1月13日、第二次大戦の終戦の半年あまり前に、愛知県を襲った内陸直下型地震だ。マグニチュード(M)6・8だった。

 2カ月前の1944年12月に東南海地震(M7・9)が起きて、当時、軍需工場が集中していた名古屋に壊滅的な被害を与えてから間もないときだった。東南海地震は、恐れられている南海トラフ地震の直近の先祖である海溝型地震だ。

 この2つの地震の報道には厳しい報道統制が敷かれた。軍需工場が大被害を受けた「逆神風」が敵国に知られるのではないか、戦争で疲れ切っていた国民の戦意をいっそう喪失させるのではないか、と軍部が恐れたのだ。

 このころ太平洋やアジア各地で日本軍の撤退や玉砕が続いていて、これらの情報も同じ理由から報道されなかった。

 この2つの地震は国民には隠されてしまった。被害を受けた住民は、被害について話さないように、話すことはスパイ行為に等しいなどとされたのだ。

 三河地震の震源は三河湾から内陸にかけての場所だった。沖合の南海トラフ付近で起きた東南海地震よりもずっと陸地に近い震源だった。

 三河地震について詳細が知られるようになったのはごく最近だ。

 この地震では、東南海地震の倍もの死者が出た。2300人を超えたのではないかといわれている。

 なかでも悲惨だったのは、米軍機の空襲に備えて名古屋から学童の集団疎開が行われていた、その集団疎開先を襲った地震だったことだった。

 疎開先には、大広間がある寺が数多く利用されていた。寺は、柱が少なくて屋根が重い。地震には弱い建物なのである。

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