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油断した人々をのみ込む津波地震 南海トラフ、慶長地震に第3の学説がある理由 (1/2ページ)

 南海トラフ地震が恐れられている。

 南海トラフの大地震の「先祖」は過去に13回知られているが、このうちでも慶長地震には不思議なことが多い。もしかしたら、まっとうな「先祖」ではないのではないかといわれている。

 慶長地震が起きたのはいまの暦で1605年2月3日。「次の」宝永地震が起きたのは1707年だったから、100年しかたっていない。宝永地震のような超巨大地震のエネルギーがそんなに早くたまるのかという疑問が昔からあった。

 そして、慶長地震では津波による溺死者が約5000~1万人と甚大だった割には、地震による被害が、とくに西日本で小さかったことも不思議だった。

 慶長年間は20年もなかったのだが、慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震など、西日本各地で大地震が相次いだ。これらの地震では被害や揺れの記録が書き残されている。だから、慶長地震の被害だけが記録されなかったことはあるまい。

 このため慶長地震が南海トラフに起きたのではなく、八丈島南方の伊豆小笠原海溝で起きたという学説が出されている。房総半島の東岸では、地震を感じて10分ほどで10メートルもの津波が襲ってきたことが、それを裏付けるように見える。

 だが、西日本でも大津波が襲ってきた。徳島県・鞆浦(現海陽町)で10メートル、宍喰(同)で6メートルもの津波が来て死者数千人、高知県でも甚大な被害を生んだ。伊豆小笠原海溝で起きた地震だとすると、途方もなく大きな地震でないと、房総半島から九州にかけての広い地域の大津波が説明できないという難点があった。

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