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「零戦里帰りプロジェクト」 困難を乗り越え72年ぶりに日本の空を飛んだ (1/2ページ)

 零戦といえば、大東亜戦争時の帝国海軍の主力戦闘機である。零戦が制式採用された1940年は皇紀2600年にあたり、下2桁の年次から「零式艦上戦闘機」の名称が与えられた。

 ゼロ(zero)は英語だから「レイセン」と呼ぶことにこだわる人もいる。英語の使用を禁じられた戦時中にも、「ゼロセン」と呼ぶ日本人は珍しくなかったようだ。

 実戦投入された初期の頃、零戦は米国など連合国の戦闘機と比較して、旋回性能、航続距離、速度、武装など、防御面を除いた、ほぼすべての面で圧倒的優位だった。

 米空軍は42年7月、アリューシャン列島アクタン島に不時着した零戦を手に入れて、徹底的にテスト飛行をした。そして、12月には「Never attempt dog fight Zero(零戦に空中戦を挑むな)」と報告している。飛行機の発明国として屈辱だったはずだ。

 その後は米国も高性能な戦闘機を開発し、零戦の弱点を衝く戦術も研究され、戦争の中盤以降は、撃墜される零戦が急増した。最終盤には特攻機として用いられ、さらに数を減らした。終戦まで生き残った機体もGHQ(連合国軍総司令部)に破壊された。

 そのため、動態保存され、実際に飛べる零戦は世界に4機しかない。いずれも米国にある。

 その中の1機は、日本人ビジネスマンの石塚政秀氏が個人で所有している。普段はニュージーランドに住む石塚氏は、2007年から「零戦里帰りプロジェクト」をスタートさせた。多額の私財を投じて復元や整備を重ね、14年9月に零戦の横浜入港を果たした。

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