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【山口組3分裂】「神戸」割った男の図抜けた凶暴性 服役中、倉本組長に買われ若頭補佐に (1/2ページ)

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 2009年、大阪刑務所(堺市)。工場対抗のソフトボール大会が開かれていたグラウンドで、1塁側ベンチの中央に腰をおろし、周囲に険しい空気を漂わせる男がいた。

 その男こそ、今年4月末に指定暴力団神戸山口組(兵庫県淡路市)の若頭代行の座を捨て、新組織・任侠(にんきょう)団体山口組を立ち上げた織田絆誠(よしのり)代表(50)だった。

 山口組(神戸市灘区)から15年8月に分裂した神戸山口組をさらに割って出て、3分裂の渦中にある織田代表はどんな男なのか。

 関係者によると、1966年に大阪で生まれた織田代表は、10代のころから同級生の不良グループの中でも中心的な存在となった。周囲には当時から「将来は極道として生きていく」と語っていたという。

 言葉の通り、84年ごろには暴力団組織に所属。約4年後に山口組直系組織の中でも「喧嘩負け知らず」として恐れられた倉本広文組長率いる倉本組に入り、傘下に織田興業を立ち上げた。

 90年には組員の引き抜きをめぐり、山口組と波谷組(大阪市)の間で起きた「山波抗争」に参加。銃撃事件の首謀者として逮捕されるなどし、懲役12年の判決を受けて徳島刑務所(徳島市)に服役した。

 徳島刑務所は8年以上の懲役刑を言い渡された長期服役者の中でも、累犯など犯罪傾向が進んだ者や暴力団関係者を多く収容する施設として知られる。織田代表が入所した当時も、後に山口組で上層部入りする組長らが数多く服役していた。

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