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【山口組3分裂】再統合模索した懐刀と「神戸」組長との軋轢 方向性の違いが再分裂に発展 (1/2ページ)

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 「たられば」を論ずるのは詮ないことだが、任侠団体山口組の織田絆誠(よしのり)代表(50)が服役していた1998年に、所属していた山口組直系組織・倉本組の倉本広文初代組長が病死していなければ、4月末の神戸山口組の分裂、また2015年8月の山口組の分裂も違ったものになっていたかもしれない。

 倉本組長の死後、山口組では篠田建市(通称・司忍)6代目組長体制が発足するまでの約7年間、倉本組の名称は封印される。その系統は貴広会と倉心会に分かれ紆余曲折を経ることになるが、織田代表は01年の出所後も初代組長への忠誠を示し、どちらにも所属しなかった。

 ある在阪のフロント(企業舎弟)は、倉本組の幹部が山口組の渡辺芳則5代目組長の出身母体で当時、「山健組にあらずんば山口組にあらず」と言われるほどの勢力を持った山健組の井上邦雄・健竜会会長(現神戸山口組組長)と親交があり、出所後の織田代表を引き合わせたとみる。

 くしくも2人は同時期に徳島刑務所(徳島市)に収監されており、親子の縁を結ぶこととなった。

 織田代表は健竜会に末席から加入したにもかかわらず、すぐに頭角を現し、井上組長の懐刀になっていくが、健竜会には今月9日、山健組ナンバー2への就任が発表されたばかりの中田広志若頭がいた。

 暴力団社会では、誰もが山口組を割って出ることがいかに困難かを理解している。過去には武力と経済力を兼ね備えた直系組織・後藤組(解散)の後藤忠政元組長ですら身を引いているのだ。

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