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海岸線に残る爪痕調査 首都圏襲う、2種類の海溝型大地震 (1/2ページ)

 「横田ラプコン」というものがある。これは首都圏上空に米軍が設定した「見えない巨大な壁」で、日本の航空機は事実上、その中に入れない。

 この壁があるために、関西や九州から羽田空港に入ってくる飛行機は、房総半島の南部をぐるっとまわらなければならない。そのときに窓からよく見えるのが、千葉・房総半島の南部にある海岸段丘だ。海岸から階段のように上がっていく風景が目を引く。

 この海岸段丘は過去の海溝型地震の繰り返しが作ったものだ。いちばん下の段は1923年に起きたマグニチュード(M)7・9の関東地震が作った。その上に見える大きな段は1703年に起きた元禄関東地震が作った段で、さらに上部はもっと大きな段もいくつか見える。

 海溝型の大地震が起きるたびに、房総半島の南部は飛び上がって海岸段丘を作ってきたのだ。房総半島南端の野島崎灯台がある岬も、隆起して地続きになったが、昔は沖にある島だった。

 地震で新しくできた土地は、大きいものでは幅何キロもあり、奥行きも数百メートルにも達する。地元の人々が山分けした記録もある。土地が増えることは、地元にとっては大きなボーナスだったのだ。

 最近、この海岸段丘を丁寧に調べ直したら、いままでに見つかっていなかったいくつかの段が見つかって年代と照合された。約6300年前、約5800年前、約3000年前、約2200年前にそれぞれ大地震があって、面積の広い海岸段丘が作られていたことが分かったのだ。

 首都圏は日本の中でも地震が多い。日本のほかの場所でも起きる内陸直下型地震だけではなくて、ほかでは太平洋岸の沖にしか起きない海溝型地震も起きる。

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