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大地震にかけられた「あらぬ疑い」…新潟水俣病もそのひとつ (1/2ページ)

 地震が「あらぬ疑い」をかけられることがある。

 ちょうど53年前の1964年6月に新潟地震が起きた。マグニチュード(M)は7・5。この地震は地震史上で最大のコンビナート火災を起こした。

 一般の家からは火は出なかった。しかし新潟市内の石油製油所と貯蔵所4カ所から出火し、なかでも昭和石油新潟製油所の巨大な石油タンクが12日間も燃え続けたのだ。東京消防庁や米軍の応援まで得てようやく鎮火したが、近くの住宅60棟が全焼した。

 私が学生のころ、地震学者の大先生が作った地図では新潟が日本でいちばん地震がないところとされていた。だが、その直後に起きたのが、この新潟地震だった。

 この先生の研究に限らず、将来の地震危険度を表した地図はいくつもある。政府の委員会も権威があるはずの地図を毎年発表している。

 しかし、どの地図でも、安全だとされたところにその後、地震が起きている。たとえば2005年に起きた福岡県西方沖地震(M7・0)は日本史上初めて起きた地震だったのでまったくのノーマークだった。過去の歴史から将来の地震を予想することはかくも難しい。

 新潟地震では26人がなくなったほか、開通直後だった市内の昭和大橋が崩落したり、液状化で4階建ての県営川岸町アパートが倒れた。新潟県ばかりではなく秋田、山形など8県でも被害が出た。

 他方、この新潟地震が「ぬれぎぬ」を着せられたこともある。

 当時は熊本県の水俣病が明らかになりかかっていた時代だった。1965年、新潟大学は、新潟県の阿賀野川流域で有機水銀中毒とみられる患者が発生していると発表した。新潟水俣病あるいは第二水俣病だ。

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