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世界が震撼した雲仙普賢岳の大火砕流 富士山も警戒を怠れない火山の一つ (1/2ページ)

 6月は長崎県島原半島にある雲仙普賢(ふげん)岳で26年前の1991年に「戦後最大」の火山災害を生んでしまった月だ。

 このときの火山災害は火砕流だった。2014年の御嶽噴火で戦後最大という記録は塗りかえられたが、温度は300℃を超え、流れ下る速さが新幹線なみの火砕流は逃げられるものではなかった。43人が犠牲になった。いまでも火砕流のあとがはっきり残っている。

 しかし、雲仙普賢岳ではかつて日本史上最大の被害者数を生んだ火山災害が起きたことがある。火砕流ではなく山体崩壊だった。

 江戸時代の1792年のことだった。普賢岳で噴火と同時に起きた強い地震で隣の眉山(まゆやま)が崩れた。

 大量の土砂が島原の海になだれ込んで津波を起こし、有明海対岸の肥後(熊本)を襲った。犠牲者は対岸のほうが多く、全部で1万5000人にもなった。「島原大変、肥後迷惑」と称されるようになった事件だ。

 この山体崩壊に見られるように、そもそも火山は、火山灰や噴石や火砕流が積み重なって山を作っているものだから、とても崩れやすい。

 たとえば、静岡・御殿場市は標高500メートルほどのなだらかな斜面に広がっているが、これは約3000年前に富士山の山体崩壊で作られた平坦(へいたん)面なのである。

 しかも、この山体崩壊は、富士山の噴火が起こしたものではなかった。近くで起きた地震による崩壊だったのだ。火山が噴火しなくても、揺すぶられれば山体崩壊が起きることがある。

 18世紀の大災害後、当時の島原藩主は復興のためにハゼの木の育成を奨励した。ハゼは実から「ろう」が作れる。ろうは、当時の重要な照明だったろうそくの原料だった。島原は約10万本のハゼ林が広がる国内屈指の産地になり、最盛期には200軒以上の工場や工房でろうそくが作られるようになった。

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