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【菊池雅之 最新国防ファイル】失われた慰霊碑、かつての場所は廃材置き場に… コタキナバルのサクラ、弔いの植樹「日本を思い出して」 (1/2ページ)

 先の大戦で戦った多くの日本人が、二度と故郷の地を踏むことなく、戦地にて命を落とした。戦後、彼らを弔うために、世界中に多くの日本人墓地や慰霊碑が建てられた。しかし、戦後70年以上を経て、破壊されたり、その上に建物が建てられたり、ゴミ捨て場のごとく扱われている場所も少なくない。

 マレーシア・サバ州の州都コタキナバルにも、そのような場所がある。

 近郊のミリ市にはルトン製油所があった。2万トンもの貯蔵量を誇り、燃料重油などに精製された燃料は、主として戦闘用に使われた。1944年10月2日にブルネイ湾に集結した連合艦隊の最後の燃料として使われた。その報復として、米英軍は翌年、ルトン製油所を攻撃した。戦闘能力をほとんど持たず、丸腰に近かった燃料部隊は玉砕する。

 生き残ったミリ地区警備隊長の笠井次男大尉や、燃料工廠捕虜係の下沢隆治少尉ら8人の日本人は戦争犯罪者として捕らえられた。そして、47年、全員銃殺される。

 時は流れ、91年8月19日、8人の慰霊碑が建てられた。ただし、日本政府や現地日本人会は関係しておらず、有志により資金が集められた小さな慰霊碑だ。このため維持管理は困難を極め、最後に慰霊碑を守った方が「自分の代で管理者がいなくなる。荒れ野と化すぐらいならば」と破壊した。

 2017年4月4日、護衛艦「ふゆづき」と潜水艦「みちしお」がコタキナバルに寄港した。指揮官である第1練習潜水隊司令、羽渕博行1佐は、このルトン製油所跡の慰霊碑の話を聞き、訪れることを決めていた。

 入港してすぐ、部下を率いて現地に向かうと、その場所は現地の方々の廃材置き場となっていた。そこで、草を刈り、ゴミを撤去した。その下から5メートル四方のコンクリートで固められた土台が現れ、かつて慰霊碑があったことを示していた。

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