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【昭和のことば】さまざまな世代に“解釈”され流行語になった「あっそう」(昭和21年)

 荒廃した終戦直後の国内を昭和天皇が順次周遊されていくプランは、この年、神奈川県の川崎、鶴見、横浜を皮切りに、各地で実施された。この「あっそう」は、天皇が1日目の昭和電工川崎工場での視察の際に、工場関係者の説明に納得するように発せられたことばである。

 この様子は、当時の朝日新聞に掲載された。この「あっそう」をはじめ、「どこで戦災にあったの」「随分ひどかったね」などの、庶民が初めて直接聞く天皇のおことばを、「女性的にさへ拝せられる御口調」と記している(『昭和ことば史60年』)。

 この年の主な事件は、「天皇、神格否定の詔書発表(人間宣言)」「GHQ、軍国主義者の公職追放を指令」「GHQ、憲法改正要綱(松本試案)を拒否し、GHQ草案を交付」「物価統制令公布、施行」「幣原喜重郎内閣総辞職」「極東国際軍事裁判所開廷(東京裁判)」「第1次吉田茂内閣成立」「米国、ビキニ環礁で原爆実験」「経済団体連合会創立」「日本国憲法公布」など。

 この年、初の接吻映画『はたちの青春』が封切られた。本は尾崎秀実の『愛情はふる星の如く』、米国雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』の日本語版が創刊された。

 戦後の混乱期であり、人口調査で失業者数推定600万人と発表。「空いているのは腹と米びつ、空いてないのは乗りものと住宅」という、はやり言葉が生まれた。

 この「あっそう」は、若い世代から年配者まで、さまざまな世代により勝手に解釈され、流行語にもなった。戦後の天皇に親しみを覚える人々もいれば、旧来の天皇の権威に疑いを持ち始めるものもいた。だが、このことばに代表される昭和天皇の物静かで朴訥(ぼくとつ)なお人柄は、その後長く、幅広い世代の庶民に愛されることとなった。(中丸謙一朗)

 〈昭和21(1946)年の流行歌〉 「東京の花売娘」(岡晴夫)「啼くな小鳩よ」(岡晴夫)「みかんの花咲く丘」(川田正子他)

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