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【昭和のことば】民主主義の精神を象徴、戦後何度も国民の間に蘇った「話せばわかる」(昭和7年)

 「話せばわかる」とは、反乱を起こし首相官邸に乱入した海軍青年将校ら(暗殺団)に対し、対話の姿勢を示した犬養毅首相が放ったことばだ。血走った暗殺団の青年将校は、「問答無用」と叫び、犬養は凶弾に倒れた。「五・一五事件」である。

 背景には第一次大戦後の世界的な軍縮のなかで、日本国内でも、一般市民が電車のなかで将校の軍刀を足蹴にするなど、軍人を冷笑する空気が生まれ、それに伴い軍人の欲求不満が暴発しようとしていたことがあげられる。

 この年の主な事件は、「関東軍、ハルビン占領」「大相撲春場所興行開始。東西対抗制から系統別総当たり制に」「満州国、建国宣言発表」「第1回日本ダービー『東京優駿大競争』開催」「斉藤実内閣成立。軍部・官僚からなる『挙国一致内閣』の誕生」「警視庁特別高等警察部設置」「中央気象台、国際協同極地観測のため富士山頂観測所を設置」「日満議定書調印。満州国承認」「リットン調査団、日本政府に報告書通達」「東京・日本橋の白木屋で出火。ロープで避難の女店員が裾の乱れを気にし、14人が死亡」など。

 この年の映画は『國士無双』(伊丹万作監督)、『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(小津安二郎)。第10回ロサンゼルス五輪が開催され、日本は金メダル7個を獲得。慶大生とその恋人が大磯町坂田山で図った心中が「天国に結ぶ恋」として美化され、映画もヒットした。「ゴールデンバット」10本入りの当時の値段は7銭だった。

 口答えや異論を許さぬ「問答無用」ではない。「話せばわかる」は、民主主義の精神を象徴することばとして、戦後何度も国民の間に蘇った。丁寧に対話の時間を作り、話す能力を高めあいながら物事を解決していく。果たして、85年後のいまの日本で、それはじゅうぶんに行えているのだろうか。(中丸謙一朗)

 〈昭和7(1932)年の流行歌〉 「影を慕いて」(藤山一郎)「銀座の柳」(四家文子)「涙の渡り鳥」(小林千代子)

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