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【昭和のことば】“希少価値”薄れ始め失業時代に遭遇… 高田稔、田中絹代主演で共感呼んだ「大学は出たけれど」(昭和4年)

 第一次世界大戦後の好況がいまだ残る大正9(1920)年、奥野他見夫のユーモア小説『学士様ならお嫁にやろか』が流行していた。大学出はまだまだ希少価値で、世間でもてはやされていた。その後景気は傾き、就職難は大学卒業生「学士様」にもおよび、「高等遊民」と呼ばれた未就職者が増大した。これを扱った映画が、松竹蒲田撮影所制作の『大学は出たけれど』である。昭和4(29)年に高田稔、田中絹代主演で封切られ、共感をよんだ。

 この年、新大学令により大学が急増、希少価値が薄れ始めたタイミングで失業時代に遭遇したというわけである。

 この年の主な事件は、「寿屋が最初の国産ウイスキーを発売。(サントリーウイスキー・白札、4円50銭)」「日本航空輸送会社が、東京・大阪・福岡間の定期旅客輸送を開始」「政府、中国国民政府を正式に承認」「中央本線、国分寺から立川まで電車運転開始」「田中義一内閣が総辞職し、浜口雄幸民政党内閣成立」「浅草で榎本健一らのカジノ・フォーリー発足」「浜口首相、ラジオで緊縮政策を全国に放送」「小西本店、本格的な国産初の写真フィルム『さくらフィルム』を発売」「朝鮮光州の学生が日本学生の非行に抗議デモ、反日運動に発展(光州学生運動)」など。

 この年は、島崎藤村の『夜明け前』が発表開始。小林多喜二の『蟹工船』が発表の後、発禁処分に。10月には、アメリカの株式が暴落(暗黒の木曜日)、世界恐慌が始まり、日本の生糸価格も暴落した。

 『蟹工船』のヒットで左翼思想が高まり、インテリの支持を得た。不況でストライキの頻発に怯えた企業側は大学卒を敬遠し、ますます「大学は出たけれど」の様相が強まった。 =敬称略(中丸謙一朗)

 〈昭和4(1929)年の流行歌〉 「東京行進曲」「愛して頂戴」「紅屋の娘」(佐藤千夜子)

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