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【高橋洋一 日本の解き方】罪が重い「痛みに耐える」論 「米百俵」曲解して増税推進、将来の人にも痛みを与える (1/2ページ)

 消費税や年金問題などで、「将来のために痛みに耐えるべきだ」という論調は、いまも学者やメディアで見受けられる。

 「痛みに耐える」論で有名なものに「米百俵の精神」があり、小泉純一郎政権発足直後の国会の所信表明演説に引用された。長岡藩の藩士、小林虎三郎による教育にまつわる故事であり、百俵の米を食べずに売却して学校設立資金に充てたという話だ。

 今の財政で考えると、政府支出をする際、消費支出を削って投資支出に振り替えることに相当する。当面の消費支出を我慢できるのであれば、将来投資にかけてみるというのは、その投資が正しければ妥当な判断といえる。

 問題は、その故事を曲解して使うことだ。よくあるのが「いま消費増税して債務を返済し、将来の不安を解消しよう」というたぐいの議論である。

 いま消費増税するのは、いま政府支出を削減することと、マクロ経済から見れば同じである。そこで、ひとまずその是非は別として、消費増税と歳出削減は実質的に同じだと仮定しよう。その上で、次にくるのが、債務削減である。ここが重要なポイントであるが、債務削減と投資支出は似て非なるものだ。

 こういうと、「痛みに耐える」論からの反論がある。債務はマイナスの投資であり、それを削減することは投資を行うことと同じというものだ。そのうえで、「いま消費増税(歳出削減)して債務を返済するのは、米百俵の精神に合致する」と主張するだろう。

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