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【勝負師たちの系譜】生涯現役、60代でタイトル挑戦した大山康晴名人 入院先で「ちょっと無理をし過ぎたかも」の本音も (1/2ページ)

★大山康晴(4) 

 大山康晴十五世名人は、棋士としてだけでなく将棋連盟の会長としても大きな足跡を残した。特に1970年代の東西の将棋会館建設は、大山がいなければ成し遂げることはできなかったと思う。

 総額5億円を超える建設費の内、日本船舶振興会から補助金以外を、寄附金で賄おうとしたのだった。

 大山は出して頂ける会社への挨拶回りの中で、一時間でも空き時間があると、「時間がもったいないから、あの会社に入ろう」と言って、飛び込みで訪ね、寄附をお願いしたという。そのくらいの責任感で集めたお金で、東西の会館は建った。

 棋士としての最後のタイトルは、1982年度まで持っていた王将位。何と60歳の直前まで、タイトル保持者だったのである。その後も順位戦のA級は生涯守り、「A級から落ちたら引退する」と公言していた。

 しかもタイトルこそ取れなかったが、63歳で名人戦、66歳の時には棋王戦の挑戦者となっているから、正に鉄人である。

 1989年度の順位戦。お互いに降級候補の状態で、私と大山はラス前での対局となった。中盤早々に私が勝勢となったら、急にライバルが負けるかどうかを見て回り始めた。

 あんなにソワソワした大山を見るのは初めてだった。

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