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【新・カジノ情報局】悲劇のマフィア、バグジーのラスベガス物語 エンターテインメントホテルの先駆け「フラミンゴ」 (1/2ページ)

 1931年、ラスベガスの方向性を決める出来事が起きた。コロラド川をせき止め、水力発電所を作るためのフーバーダムの建設である。その工事にやってきた人たちがギャンブルをするため大挙して押し寄せたことが、ギャンブルの聖地としてラスベガスの方向性を決めることとなった。

 だが、いつの時代もカネの匂いに敏感なのが闇の世界の人間である。ギャンブルの街として発展しはじめたラスベガスを彼らが放っておくわけがなく、マフィアが送り込んだのが映画の主人公にもなったバグジーことベンジャミン・シーゲルだ。

 ラスベガスにはすでにカジノホテルがあったが、どこもコテコテのギャンブル場だった。そこにシーゲルは新たな発想を持ち込んだ。ハリウッドのように華やかでぜいたくな社交場をイメージするような、カジノとショーの要素を併せ持つ「フラミンゴ」だ。

 フラミンゴは現在も人気ホテルとしてストリップ(ラスベガス大通り)で営業しているが、ここには日本人に関するエピソードが一つある。

 自民党の国会議員として人気があったハマコーこと故浜田幸一氏がバカラで5億円負けたとされる件だが、その舞台がまさにフラミンゴである。負けた5億は、国会での証人喚問で「記憶にございません」を連発し、日本中の子供がマネをする大ブーム(ぼくもマネをした)を巻き起こした。故小佐野賢治氏が立て替えたともいわれている。

 当時もし流行語大賞があれば文句なしに大賞だが、それはともかく、以前フラミンゴのマネジャーにハマコー事件のことを直接尋ねたところ、さすがカジノのマネジャーとあって物腰は柔らかいが口は固く、ひと言、「同じ質問を日本人から100回以上された」とだけ答えてくれた。

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