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【昭和のことば】和気あいあいは昭和後期以降…立場弱く苦労しきりだった中期までの「買い出し」(昭和18年)

 高度成長も安定を迎えた昭和後期の頃、「買い出し」とは郊外にでき始めた大型スーパーへ(和気あいあいと)一家総出で買い物に行くことだった。手に入れたマイカーを操る昭和一桁の父親がよくそんなことばを使っていた。

 だが、昭和の中期、戦時下の日本での話はまったく違う。国内の食糧事情の悪化に応じて、都市から近県の農村や漁村に食料を調達に行くことに、このことば「買い出し」が充てられていたのだ。週に何度か、非生産者である都会の勤め人は、縁故を頼って農村や山村に買い出しに出かけた。立場も弱く苦労しきりであった。

 この年の主な事件は、「ジャズなど米英音楽の演奏等禁止」「日本軍ガダルカナル島から撤退」「陸軍省、『撃ちてし止まむ』のポスター大量配布」「日本野球連盟、野球用語の日本語化などを決定」「金属回収さらに強化、鉄鍋、火鉢など強制供出」「アッツ島の日本軍全滅、2500人玉砕」「上野動物園、空襲時に備え猛獣を毒殺し剥製に」「鳥取県に大地震、死者1083人」「閣議、国内態勢強化方策決定。17職種の男子就業を禁止し、25歳未満の女子を勤労挺身隊として動員」「出陣学徒の壮行大会を神宮外苑で挙行」「文部省、学童の縁故疎開促進を発表」など。

 この年の映画は、『姿三四郎』『無法松の一生』。本は武田泰淳『司馬遷』、桑原武夫『事実と創作』、唐木順三『鴎外の精神』。当時の物価は、入浴料は8銭、理髪料は80銭だった。また、「玉砕」という漢語が新語として復活したのは、まさにこの年だった。

 戦争終結後のしばらく続いた「買い出し」だが、昭和22(1947)年の警視庁調査によると、東京の主要駅を通った買い出しの人数は、1日4万2000人に達したとされている。=敬称略(中丸謙一朗)

 〈昭和18(1943)年の流行歌〉 「加藤隼戦闘隊」(軍歌)「お使いは自転車に乗って」(轟夕起子)「大空に祈る」(軍歌)

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