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【昭和のことば】“宮様首相”が説いた新生日本へ必要な気持ち 〈一億総ざんげ〉(昭和20年)

 昭和20(1945)年8月15日の玉音放送によって戦争は終わった。戦後初の首相になった“宮様首相”こと東久邇宮稔彦は、敗戦に立ち至った責任を省み、過ちを繰り返すことなく新生日本を築くには、「(一億人の)国民総ざんげ」の気持ちが必要だと説いた。

 一見、国家再建に向け、国民をひとつにする元気づけのことばのようだが、やはりさまざまな反発も生じた。そんな民衆においかぶせた精神論では、戦争責任の所在が曖昧になるとの懸念からだった。

 この年の主な事件は、「ルーズベルト、チャーチル、スターリンがヤルタ会談」「B29、334機、東京を夜間空襲(東京大空襲)」「アメリカ軍、沖縄本島に上陸」「鈴木貫太郎内閣成立」「ドイツ、無条件降伏」「沖縄本島守備軍全滅。15万の一般住民死亡」「B29、広島・長崎に原爆投下」「御前会議、ポツダム宣言受諾を決定。翌日正午、天皇による終戦の詔書放送」「連合軍総司令部(GHQ)横浜に設置」「マッカーサー、憲法改正、人権確保の五大改革などを要求」など。

 映画『勝利の日まで』、本は太宰治の『お伽草紙』が流行。長く国民を苦しめた戦争が終結。アメリカ軍がジープで街を進駐する戦後の混乱期に突入した。

 ほどなく行われた戦犯裁判で、一応は戦争責任が明らかにされたかたちとなり、一億総ざんげ論は消えた。しかし、支配層に国民がだまされたという観点を解決しないまま新憲法時代に入ったため、国民の間には依然として「平和を失わされた被害者」の意識が残ったかに見える。=敬称略(中丸謙一朗)

 〈昭和20(1945)年の流行歌〉 「お山の杉の子」(童謡)「嗚呼神風特別攻撃隊」(軍歌)「リンゴの唄」(並木路子)

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