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【警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識】半島ごと“海に消えた”日本の村 淡路島の南端に近いところ… (2/2ページ)

 じつは13回知られている「先祖」でも、1回ごとにちがう。たとえば一番最近に起きた東南海地震(1944年)と南海地震(1946年)は、2つ合わせても「先祖」のなかでは小ぶりのものだった。

 他方1707年に起きた宝永地震は、東日本大震災(地震名としては東北地方太平洋沖地震)なみの巨大な地震だったことが分かっている。

 明応地震は、とくに津波が大きかった「先祖」として知られている。

 もうひとつの可能性もある。それは、淡路島南部には、中央構造線がちょうど通っていて、それがらみの直下型地震が起きたのではないかということだ。

 中央構造線はいまの長野県から瀬戸内海を通って鹿児島県に至る日本最長の活断層で、いままでたびたび直下型地震を起こしてきたことが知られている。いまから2年前に熊本で震度7を2回記録して、いまだに地震活動が続いている地震も、この中央構造線の真上にある。

 16世紀初めの地震については古文書がちゃんと残っているわけではない。大きな直下型地震が中央構造線の淡路島の近くで起きて、この村が消えてしまった可能性も排除できないのだ。

 日本以外ではギリシャのサントリーニ島でかつての文明が盛んだった集落が紀元前17世紀に発生したミノア噴火で沈んだ。

 いまはかけらのような小さな島々だけになったことが知られている。

 地震や噴火は人々の平和な生活をいきなり破壊することがあるのだ。

 ■島村英紀(しまむら・ひでき) 武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。著書多数。最新刊に『完全解説 日本の火山噴火』(秀和システム)。