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【日本-ポーランド国交樹立100年 蘇る美しき絆】いまも色あせることのない感謝… シベリアからの「ポーランド孤児救出」 (1/3ページ)

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 日本によるシベリアからの「ポーランド孤児救出」は、ロシア革命に干渉する目的で、米国、英国やフランスなどと共同で行った「シベリア出兵」(1918-22年)中の出来事だった。

 当時、シベリアには15万~20万人のポーランド人が政治犯として流刑されるなどして暮らしていた。第一次世界大戦が18年に終結し、ポーランドは独立を回復したが、前年に起きたロシア革命で帰国が困難となった。内戦もあり、多数の餓死者や凍死者が出ていた。

 この惨状を知った極東ウラジオストク在住のポーランド人らが「ポーランド救済委員会」を立ち上げ、「せめて子供たちだけでも救ってほしい」と救援を打診した。日本はこれを引き受けた。

 日本軍と日本赤十字は協力してシベリア各地からポーランド孤児らを収容し、ウラジオストクから敦賀港に送り届けた。日本は孤児たちを温かく迎え入れ、手厚く養護した。22年8月までに、救出したポーランド孤児は計765人に上った。

 ポーランド政府の要請に基づき、元気を取り戻した孤児たちは横浜港や神戸港から帰国した。このとき、孤児たちは愛情込めて養護してくれた日本から離れることを泣きながら拒んだのである。孤児らは船上から「アリガトウ」を連呼し、「君が代」とポーランド国歌を高らかに歌い、別れを惜しんだのだった。

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