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【ケント・ギルバート ニッポンの新常識】元号廃止論は「民主国家の観念」無視した主張 「令和」決定と伝統の価値 (1/2ページ)

 5月1日からの新元号は「令和(れいわ)」に決まった。好意的な日本人が多い。反対する人の多くは「何になろうが反対する」と事前に決めていたのだろう。

 紀元前115年ごろに初めて元号を制定したのは、中華王朝の漢(前漢)である。その後、元号は中国大陸で、2000年を超える伝統となった。

 だが、ラストエンペラーの愛新覚羅溥儀が退位して清朝が滅ぶと、中国大陸では、元号を使用する伝統も一緒に滅んだ。朝鮮やベトナムなど、かつて元号(年号)を使っていた国々も、現在は使用していない。

 日本は孝徳天皇が即位した西暦645年に、初めて「大化」の元号を使用した。さらに、文武天皇が即位した同701年の「大宝」以降は1300年以上、一度も途切れず元号を使用してきた。

 元号は、天皇と不可分な存在で、日本の歴史と伝統の重要な要素である。つまり「羨望」だけでなく、「嫉妬」と「破壊」の対象にもなるのだ。

 今回の改元には、さまざまな意見があった。

 合理性を重視する人は、元号の存在を面倒だと感じているだろう。私も最新刊『天皇という「世界の奇跡」を持つ日本』(徳間書店)で告白したが、かつてはそのような一人だった。いや、正確に言えば、今も銀行などで「元号は面倒だ」と思う瞬間がある。

 だが、「面倒だから」という「中二病的な理由」での、元号廃止論を支持する気はない。外務省は先日、「公式文書の元号不使用を検討中」と報じられたが、「海外への伝統重視のアピールも、日本の国益の1つ」とは考えないのだろうか。

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