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【語り継ぎたい天皇の和歌】想像力あふれる「文化の理解者」

 『寛平御遺誡』(かんぴょうのごゆいかい)という言葉をご存知でしょうか。第59代の宇多天皇が譲位される際、13歳の新帝・醍醐天皇にお与えになられた書として知られています。帝王のあるべき姿、朝廷の政務儀式、宮廷の年中行事、さらには天皇の日常や学問に関しての記載もあり、長く、「天皇の指南書」として語り継がれてきました。

 この宇多天皇の側近として支えていたのが、あの菅原道真です。今日(こんにち)では「学問の神様」として知られる道真は宇多天皇の信頼を受け、天皇の譲位の際、たった一人相談した人物でした。宇多天皇は新帝にも道真ら数名の名を挙げ、重用することをお薦めになられていました。そのため、道真は周囲から嫉妬され、左遷されても、誠の道の実践をおこない続けた人物として、後の人々に「至誠の神様」と称されたのでした。

 家柄のいい者や時の権力者ではなく、有能な人材を思いきって抜擢した宇多天皇は和歌もとても大事にしていました。道真はもちろん、『古今和歌集』撰者となる紀貫之や紀友則ら、多くの歌人が活躍する場を生み出したのも実はこの宇多天皇です。天皇の和歌を語るとき、宇多天皇は欠かすことのできない「文化の理解者」なのでした。

 西暦では867(貞観9)年6月10日に生まれた宇多天皇。1000年以上前のこの時期も、きっと日本列島には「かはづ」(蛙)の鳴き声が響き渡っていたことと思います。紫陽花(あじさい)が咲き、蛙の鳴く季節になると思い出す宇多天皇の御製。「水の底にも春が来たのだろうか、吉野の川で蛙が鳴いているよ」という一首です。大地に春が来たという歌は古来多く詠まれていても、「水の底にも春が来た」という発想はとてもユニークです。歴史に名を残すそうそうたる歌人たちと感性を磨き合った宇多天皇らしい想像力に満ちあふれた作品なのでした。

 醍醐天皇や村上天皇など、善政で知られた御歴代の多くは宇多天皇の「寛平の治」を踏まえたものだと称されます。治政の面でも、和歌の面でも、私たちはいま一度、宇多天皇に学ぶ必要があるのではないでしょうか。(歌人、作家・田中章義)

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