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【語り継ぎたい天皇の和歌】苦難の時期も常に最善尽くされる

 今上天皇が皇太子殿下だった平成29年、お言葉の中で「後奈良天皇」について語られたことがありました。現在の上皇さまが初めて国民の前で譲位の思いを語られた平成28年8月8日の前日、今上天皇は後奈良天皇の「宸翰(しんかん)」を御覧になったそうです。「宸翰」とは天皇陛下直筆の文書です。

 第105代後奈良天皇は皇室の財政が逼迫(ひっぱく)した時代に即位した天皇でした。時は戦国乱世、その上、洪水や飢饉、疫病も広がっていました。今川氏や伊勢の北条氏らの寄進を受け、後奈良天皇が即位式を遂行できたのは、譲位後10年を経てからでした。

 けれども、どんなに財政が窮乏を極めても、後奈良天皇は民に寄り添う決意を失わないかたでした。災害や疫病を鎮めようと、後奈良天皇は紺色の紙に金泥で自ら般若心経を書き写し、諸国一宮に奉納されました。その般若心経のうちの一巻を今上天皇は御覧になったのです。

 「民の父母として徳を行き渡らせることができず心を痛めている」といった思いを記された後奈良天皇。この宸翰を御覧になった翌日、今上天皇は上皇さまのあの8月8日の譲位への思いをお聞きになられたのでした。大変な状況下でも後奈良天皇が民を思い続けたことに当時、皇太子殿下だった今上天皇は大変な感銘を受けられたそうです。

 窮乏に瀕しても、地位を金で買おうとする有力者の申し出は断る清廉なかただったと語り継がれます。多くの御製もお詠みになられました。「華やかな花が散った後に樹々の陰に萌え出るみどりの瑞々しさ。生命力豊かに緑が茂るところから夏がやって来るのだなあ」という感慨をお詠みになられた掲出歌。

 「うすくなるひかりも悲したなばたの別(わかれ)にちかきあけがたの空」ともお詠みになられ、彦星織姫にも心を寄せる優しいかただったことが偲ばれます。

 苦難の時期にも天から与えられた場で常に最善を尽くされた後奈良天皇。今上天皇のお心にも深く刻まれているその御名を、我々も今一度思い返す必要があるのではないでしょうか。(歌人、作家・田中章義)

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