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【有本香の以読制毒】安倍首相が李登輝元総統への弔問に森喜朗元首相を送った意味 始まりは2001年の「訪日問題」 中国に痛烈な一撃となったか (1/3ページ)

 8月9日、75年前のこの日は、長崎に原子爆弾が投下され、ソ連が日ソ不可侵条約を破って参戦した日だ。日本の敗戦が決定的となり、当時、1つの国だった日本と台湾が別れ別れになる、その運命が決まった日でもあった。

 75年後の同日、台湾・台北の午後の気温は33度。うだるような暑さの中を、黒い服に身を包んだ日本の男たちが集まった。先月30日に逝去した「民主台湾の父」李登輝元総統への弔問に、外国から一番乗りした日本の国会議員弔問団だった。団長は森喜朗元首相。先週の本コラムでも触れたが、森氏が団長を務めた理由や経緯を知らない人のために、いま一度、大事な逸話を書いておく。

 李氏と森氏の浅からぬ縁の1つの始まりは、2001年の「李登輝訪日問題」にある。1年ほど前に、総統を退いて、「私人」となっていた李氏が、心臓の持病治療を理由に訪日を希望したことがきっかけだった。

 この李氏訪日を阻止する方向で動いたのが、外務省のチャイナスクールであり、これに同調した当時の外相、河野洋平氏だった。

 対して、「李氏の入国を認めないことは人権問題だ」として、毅然(きぜん)と「ビザ発給」を決めたのが首相だった森氏であり、ともにビザ発給を強く主張したのが、官房副長官だった現在の安倍晋三首相である。この時の様子を、森氏は台北での記者会見で、次のように述懐した。

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