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【高橋洋一 日本の解き方】愛知県・大村秀章知事リコール活動の本質 争点ずらしをするメディア…公金の存在を指摘されるとまずい人たち? (2/2ページ)

 その上で、「民族派」から疑問が出ているといい、リコールを「奇妙な政治運動」と断定している。公金の使途という観点がないのだが、もしそれがあれば、リコールは民主主義として認められた当然の手段であり、「奇妙」とはならないはずだ。

 高須氏が公金の使い方を問題にしているのは、正しい視点だ。一般論として、公費支出が民主主義プロセスを経て行われる以上、住民がその内容を理解しておく必要があり、問題は公金支出として住民の納得が得られるかに尽きる。

 左派マスコミは、「芸術」として展示されていた昭和天皇の肖像が燃える映像作品についてほとんど報じず、公費支出の是非を問うていることについても言及しない。こうしたものを不快と思う人が住民に多ければ、公費支出が認められなくても当然だ。

 芸術文化への公費支出が容認されるのは、公共経済論からみれば、良い絵画を金持ち1人が見るよりも、多くの人が見て幸福感を味わうという「外部性」があるからだ。逆にいえば、昭和天皇の肖像が燃やされる映像作品等が多くの人にとって不愉快であれば、公害と同じ「外部不経済」なので規制してもいいくらいだ。

 この公金支出の基準は、決して表現の自由を損なうものではない。というのは、あいちトリエンナーレに協賛している新聞社が、県の公金を使わずに、自社ビル内でどんな展示をしても、表現の自由の観点から問題にならない。筆者の経験では、この問題で争点ずらしの人は、公金の存在を指摘されるとまずい人たちだ。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

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