0系引退の陰で…「951形新幹線」物語 

2008.11.28


昭和47年に時速286キロの記録をつくった951形試験用新幹線(鉄道総研提供)【拡大】

 東京都国分寺市の鉄道総合技術研究所正門前に建つ市複合施設の横にある「951形新幹線」。引退間近で話題を集める初代0系がデビューした5年後に製造された試験用車両だ。昭和47年に当時最高の「時速286キロ」を記録しながら、大きな脚光を浴びることなく短い期間で姿を消していった。0系が華々しく最後の花道を飾る中、951形の隠れたエピソードや功績を鉄道総研元専務理事の田中真一さん(75)に尋ねた。★鉄道特集

 ■「286キロ」の最高速度を記録

 昭和47年2月24日、開業前の山陽新幹線姫路−西明石間を使った試験走行で、951形が「時速286キロ」を記録した。

 「あと10キロ…」「ここは抑えて…」。台車部門の主任研究員を務めていた田中さんが測定データを見ながら細かい指示を送る。この区間を使った約1カ月にわたる試験で、車両と線路条件との関係を把握し、ピンポイントでじわりじわりと速度を上げていった。

 951形は昭和44年に誕生した。山陽新幹線の延伸に合わせ、時速250キロでの営業運転を目指して製造された。先端ノーズが長いことを除けば、見た目は0系とほとんど変わらないが、車体はアルミ合金製ボディーマウント構造、台車も渦電流ブレーキ(ECB)付き軸バリ式の「DT9010」を取り入れるなど大幅に変更されていた。

 2両編成で座席はほとんどなく、所狭しと計器類が並んでいた。幅広い分野の研究員が乗り込み、「変なデータが出ると『車両が悪い』『線路が悪い』と試験車の中で喧々囂々(けんけんごうごう)の議論を繰り広げた」という。

 田中さんは昭和31年に国鉄入社。現場研修を経て34年3月に鉄道総研の前身・鉄道技術研究所へ。0系では航空技術者だった三木忠直氏と風洞試験などに取り組み、あの団子っ鼻の先頭形状を生み出した。

 その後、台車の研究室に移り、951形では現場の中心となった。「泊まり込みでほとんど乗り込んでましたから、0系よりも愛着がある」と話す。

 ■営業運転後、深夜に繰り返された走行試験

 昭和44年3月末から始まった951形の走行試験は東海道新幹線新大阪−米原間で行われた。営業運転後の深夜から明け方にかけて、研究員たちの苦労も大変なものだったという。

 田中さんは「今のJR東海鳥飼車両基地(大阪府摂津市)の中に2段式ベッドの倉庫みたいなところがあって、そこに泊まり込んだ。毎日夜中起きて明け方帰ってくる。腹が減っても周りに店はないし、暖房もろくになくて寒かった」としみじみ振り返る。

 失敗もあった。走行中に床下から「バン、バン、バン、バン!」と、ものすごい音が響いてきた。「ボルトの締め付けが悪かったのでしょう。部品が落ちて線路が壊れてしまった。始発まで突貫で復旧することになりました」

 手掛けたECB付き台車にも問題が出てきた。「蛇行動(横揺れ)を防ぐため車軸周りにゴムやバネを取り込んだら重くなり過ぎて…。下(線路)に影響が出てしまった」。改良を繰り返し、ECBを外したカルダン式とした「DT9012」にたどり着くまで計4種類を製造した。

 装備が整い記録更新に向けた走行試験が始まると、今度は恐怖との闘いにもなる。

 「0系が昭和38年にモデル線で最高時速256キロを出した後もさまざまな試験があったのです。200キロを超すだけでも相当神経使うのに、レールや台車のボルトをわざと外したり。冗談で『人体実験じゃないか』って」と笑いながら述懐する。

 951形のときには幸いそうした試験はなかったというが、「まだ経験したことのないスピードですから、怖かった…」。

 ■足踏みする速度向上、目標実現は民営化後

 国鉄は記録達成後の48年に951形の後継車両として961形を新造した。営業への転用も見越した6両編成で、山陽新幹線岡山−博多間、東北新幹線の小山実験線で試験が行われた。54年には時速319キロの記録をつくったが、目標としていた営業運転での時速250キロの実現は、国鉄民営化後の平成4年、300系の誕生まで待たなければならなかった。

 田中さんはその原因として、騒音問題が裁判に発展したり、架線の切断や降雪で遅れが相次ぐなど、開業後に少しずつ表面化してきた問題を挙げ、「防音壁を造ったりと、それらの問題のクリアするのに時間がかかり、スピードの方は停滞してしまった」と推測する。

 また、もう1つの原因として「国鉄が左前になって大々的に試作車を造ることができなくなってしまった」と苦笑いする一方で、「ほかの産業の技術を鉄道に応用できないか、といった研究がすぐに始まりました」と当時の技術者たちの層の厚さと勤勉さを強調する。現在主流となっている静音、省エネに優れたVVVF(可変電圧・可変周波数)インバータ制御も他分野からの流用だったという。

 951形がまったくのあだ花的存在だったわけでもない。速度に特化した試験用車両だったが、車両だけでなく架線や線路に関しても幅広いデータを残していた。田中さんも「その後の全体的な新幹線ネットワークをつくるときの基本的な資料として、ずいぶん役に立ったと聞いている」と隠れた功績を披露する。

 「架線や線路を太くとか、全体の重量を軽くとか非常に基本的なことの重要性を認識させてくれた。いろいろ勉強させてくれてありがとう。夜中付き合ってくれてありがとう」。田中さんはねぎらいの言葉をかけた。★鉄道特集

 2両編成のうち「951−1」は解体を免れ、平成3年に国分寺市へ無償譲渡された。現在、鉄道総研正門前の市複合施設「ひかりプラザ」横に置かれ、新幹線資料館として車内を一般に無料開放。運転席に座ることができたり、鉄道ジオラマや最高速度を出したときの記念プレートなどを展示している。

 午前10時から午後4時半、第2、第4月曜休館。年末年始は12月28日から1月3日まで休館。★鉄道特集

 

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