“シンセの草分け”深町純さん 妥協なしで音楽開拓に捧げた人生

2010.12.14


ピアノの横で語る深町純さん=10月16日、鎌倉市(瑳山ゆりさん撮影)【拡大】

 日本を代表するシンセサイザー奏者で、即興演奏家としても知られる深町純氏が11月22日、大動脈解離による心のう血腫により死去した。享年64。妻の布美子さん(38)によると、深町氏は22日も朝から「新曲を作る」と言ってピアノに向かい、布美子さんが午後9時に帰宅したところ、ピアノの下でうつぶせになって倒れていたという。まさに日本の音楽の開拓にささげた一生だった。

 深町氏は1946年、東京都生まれ。3歳からピアノを始め、都立大泉高校時代からオペラの指揮や演出を手がけた。その後、東京芸大音楽部作曲科に進み、在学中からプロとして音楽の道を歩んだ。そして「芸大卒の資格なんて必要ない」と卒業直前に中退。本格的な音楽活動を開始した。

 劇団四季の演劇公演の音楽担当を皮切りに作曲家、アレンジャー、キーボードプレーヤーとして、井上陽水、沢田研二、山口百恵など多くのアーティストのアルバムに参加。また、ミュージカルや映画、テレビドラマ、CMの音楽制作と活動の幅を広げた。

 自身も71年にファーストアルバム「ある若者の肖像」をリリースし、日本初のピアノ弾き語りのシンガー・ソングライターとしてデビュー。その後はインストゥルメンタルミュージックのバンドを結成し、「フュージョン」を日本で最初に始めた草分け的存在だった。

 音楽活動のほか、84年に東京大学教養学部で音楽美学の講座をもった。89年には洗足学園大学音楽部教授に就任し、日本初のシンセサイザー科を設立。同大学では音楽工学研究所長も兼任し、音楽と科学の文化的融合を目指す研究機関を発足させた。

 自身の音楽活動は一時休止していたが、96年の退職後は、即興演奏によるプロジェクトなど新たな音楽活動を再開させ、即興演奏家の第一人者として人気を博した。

 深町氏について、布美子さんは「美しい音楽を作り出すためなら、一切妥協することなく、すべての力をぶつける人でした」と振り返る。音楽に始まり、音楽で終えた人生だった。

 

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