代わりのいない重圧“涙”の全力 陰のヒーロー「業務隊」

★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」

2011.04.14

 午前5時ごろ、避難所の子供たちが凍えそうになりながら、外の仮設トイレに行くため起き出すと、迷彩服姿の自衛官がすでに、タオルではち巻きをしてテキパキと炊き出しの準備をしている。

 ヘドロと瓦礫に埋もれた道を通れるようにしてくれて、温かいご飯とお味噌汁という当たり前の日常を思い出させてくれる自衛官が、朝焼けにキラキラと輝いている。

 「お早う! 寒かったけどちゃんと眠れたか?」

 優しく声を掛けてくれる自衛官は子供たちのヒーローになった。

 「実は、われわれのように制服は着ませんが、過酷な状況で支えてくれている自衛隊もいるんです」

 と、ある隊員が言う。

 大規模な災害派遣で、北海道から沖縄までの部隊が一挙に東北に向かったが、被害状況も明らかでない時点では、「どこに行くのか」は手探りだった。

 そこで、拠点となったのは各地にくまなく配置されている駐屯地だった。

 「○○駐屯地を目指せ! と前進しました。駐屯地の数が多いといわれて、減らそうとしていたらしいですが、あってよかったですよ」

 一方、駐屯地では「駐屯地業務隊」がてんやわんやになった。

 この部隊は、被災者の入浴、隊員への配食、ゴミの回収、洗濯、そして不在者投票や戦力回復センター(隊員が休養する施設)…など、ありとあらゆる受け入れ業務を一手に引き受けている。

 ある駐屯地では、ほんの十数人で7000人以上の自衛官を受け入れることになった。

 「どんなに夜遅く戻っても、ガソリンを入れてくれるんです」

 隊員の感謝の言葉は絶えない。しかし、そもそも業務隊は、その半数が事務官で構成されている。自衛官は普段から不眠での訓練も受けているが、事務官にとっては想定外だ。それが今回、地震発生から24時間勤務を続けることになった。

 女性事務官たちも同様だ。押し寄せる業務と、交代のいないプレッシャー、余震の不安の中、精いっぱいに仕事をこなした。

 3週間近く経ったある日、1人の女性事務官が急に泣き出した。このまま、頑張り続けられるのかという思いがこみ上げたのだ。周りにいた女性たちも皆、緊張の糸が切れ、涙が止まらなくなった。

 1カ月目を迎える前、案じた自衛隊幹部が視察に訪れると彼女たちは「もう大丈夫です」と元気に振る舞っていて、逆に元気付けられたという。

 制服を着ない「自衛隊員」、被災者と触れ合ったり、テレビ画面に映ることのないヒーローの姿がここにもあった。

 ■さくらばやし・みさ 1970年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。震災後は防衛省内だけでなく、被災地の基地でも取材した。著書に『奇跡の船 宗谷』『海をひらく−知られざる掃海部隊』『誰も語らなかった防衛産業』(並木書房)など。

 

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