国防担う掃海部隊 節目の20年「先輩に恩返しを」

★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」

2011.05.17

 近年、海上自衛隊の新隊員が、艦艇に乗りたがらないという。

 航空機の人気は高いが、「キツイ、キケン、カエレナイ」の3K!? だといわれる船乗りを希望したがらないのだ。

 「台風が来たら、普通のお父さんは帰ってきますが、自衛隊のお父さんは出ていくんですよ」

 確かに、ある海自隊員の妻は、よく嘆いていた。

 その海自艦艇、近年はインド洋やソマリア沖など、海外で活動する機会も増え、国際貢献という形で国防を担っている。国際的評価は高く、それが隊員たちの平素の不満を拭い、大いに励みになっている。

 先がけとなったのが、今から20年前の掃海部隊によるペルシャ湾派遣だった。何しろ、初めての自衛隊海外派遣で、出港の日までドタバタの大騒ぎだった。

 そのため、航空基地に着任した歓迎会の席で、掃海隊群司令部への異動命令を受け、急きょ、送別会になってしまったとか、数日前にいきなり派遣を命じられた者など、当事者やその家族にとっては、心の準備も何もなかった。

 しかし、掃海艇という小さな木造船が、はるか中東の海まで赴き、厳しい環境下で任務を見事に全うし帰国したことは、海自にとって大きな自信となった。

 また、自分で自分の国のシーレーンを守るために努力する姿勢は、外国から一人前の国家として認められることになった。掃海部隊は、それを身をもって実行したのだ。

 その海自にとっても、日本にとっても大きな一歩を踏み出した日である4月26日を迎えるにあたり、福本出掃海隊群司令はいろいろと思いを巡らせていた。

 今年は20年の節目である。そのタイミングにこの職に就いたことは、自身が世話になった掃海部隊のために、誇るべき航跡を残してくれた先輩たちのために、「何か然るべき恩返しをするため」と考えていたのだ。

 3月11日午後、掃海隊群の所在する横須賀の海は穏やかだった。20年前、補給艦「ときわ」掃海艇「さくしま」「あわしま」がここから旅立ったが、海は当時と何も変わらないように見える。

 その晩は、すでに引退したペルシャ湾経験者の先輩に会い、節目の企画について意見を仰ぐことになっていた。同行する幕僚は地方に出張中で、すでに新幹線に乗車した旨、連絡があった。

 「夜までには間に合うな」−そう言って電話を切った。その時、グラッという大きな震動が庁舎を襲った。

 ■さくらばやし・みさ 1970年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。震災後、防衛省に加え、被災地を何度も取材した。著書に「海をひらく−知られざる掃海部隊」「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「終わらないラブレター−祖父母たちが語る『もうひとつの戦争体験』」(PHP研究所)など。

 

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