災害派遣車両が水没、「ボートで行こう」

★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」

2011.05.24

 1枚の不思議な写真がある。「災害派遣」と掲げられた車両が連なっているのだが、その全てが水没しているのだ。

 宮城県の多賀城駐屯地、今回の震災で甚大な被害を受けた。同司令で第22普通科連隊長である國友昭1佐を知る人は、以前とは別人のような顔を見て驚くだろう。やつれた頬に伸びたひげ、その姿は、ここで起きたことのすさまじさを物語っていた。

 「地震だ!」

 射撃演習を終え、車に乗り込んだ直後、大きなうねりを感じた。

 赴任してから2年近くが過ぎていた。大震災は30年以内に99%起きるといわれていたため、日ごろから訓練し覚悟はしていたものの、ついに「その日」を迎えてしまったのだ。

 「急ごう!」

 駐屯地までは車で30分ほどの道のりだったが、道路には亀裂が生じている上、大渋滞も始まり、思うように動かない。仮に動いても自衛隊車両に速度超過は許されない。いつもの慣れた帰路が、これほど長く感じたことはなかった。

 その間、師団長への連絡、部隊から情報収集要員を出発させるなど、でき得る処置を済ませ、いつもの倍の時間をかけて駐屯地にたどり着いた。

 すでに災害派遣の車両が待ち構えていた。留守部隊の迅速な対応に頼もしさを感じたのもつかの間、大津波警報が発令されていることを知る。

 「隊員は屋上へ!」

 すぐに命令を下した。多賀城は海から約2キロ離れていて、津波ハザードマップでは安全地帯だった。それゆえ、隊員たちはギリギリまで災害派遣の準備にあたっていたのだ。しかし、津波が到達したのは、屋上に退避した2分後だった。

 「あっ! 車両が!」

 正門と警衛所を押し流し、濁流がグラウンドを襲った。災害派遣車両は瞬時にして水に浮かんだ。一歩遅ければ隊員も流されていたのだ。呆然とするしかなかった。

 その時、連隊長の顔が曇った。

 「情報収集に行った車は? 射場からまだ戻ってない者は?」

 帰り道の混雑を避けようとして回り道をした車両もあるようだった。もし、海に近い道を通っていたら…。

 同時に、地域住民の安否も気遣われた。人々は自衛隊を待っているはずだ。自分たちが救いに行かなければ、地元に根を張ってきた意味がない。隊員たちは、いてもたってもいられなくなった。

 「ボートで行こう!」

 それも一刻も早く! 全員の気持ちがはやった。

 ■さくらばやし・みさ 1970年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。震災後、防衛省に加え、被災地を何度も取材した。著書に「海をひらく−知られざる掃海部隊」「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「終わらないラブレター−祖父母たちが語る『もうひとつの戦争体験』」(PHP研究所)など。

 

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