「連隊長!ふたりが戻りました!」絶望感振り払い救出へ

★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」

2011.05.25

 池のようになった駐屯地をはい出るように救援活動に向かった多賀城の陸上自衛隊第22普通科連隊。ボートに乗って、また、住民のカヌーを借りて向かった隊員もいた。

 「必ず助け出そう!」

 隊員の約9割が地元出身者である。それは、隊員たちの家や家族も被災しているということでもあった。携帯電話もすでに繋がらない。全員が不安を抱えたまま、しかし、そんな心情はおくびにも出さなかった。

 「おじいちゃん、自衛隊さんが助けに来てくれたよ!」

 身動きがとれず、建物の屋上などに避難していた住民たちが次々に助け出され、感涙にむせんだ。救出活動は夜を徹して行われ、その日だけで700人以上を駐屯地に収容することになった。

 「あれは石油コンビナートじゃないか?」

 駐屯地から遠方で火が上がっているのが見えた。避難した人々の不安は募る。いつの間にか降り出した雪で、身も心も凍り付きそうだったが、懸命に助けてくれて、カンパンや毛布を配ってくれる隊員たちの姿が唯一の励みとなった。

 「連絡はまだか?」

 國友連隊長は何度も同じ問いかけをしていた。しかし皆、首を横に振るばかりだった。

 訓練を終えて帰る途上で津波に遭遇した隊員や、情報収集に出て連絡が途絶えた隊員がいる。無事に戻った隊員もいたが、2人の隊員がまだ行方不明のままだったのだ。時間とともに絶望感が増すばかりだった。

 連隊長はむなしい質問をやめ、1人でも多く住民を救出することに集中することにした。

 「きっと戻ってくる」

 そう信じるしかなかった。それに、全ての隊員が仲間の安否、家族の無事を確認できないまま、必死に活動をしているのだ。自分の命令が正しかったかと、後ろを振り返っている暇はなかった。

 「郷土部隊」の誇りにかけて…連隊長は、そう心に誓うと、急きょ、新たに部隊を組織し、気仙沼、石巻、東松島など、さまざまに部隊を展開。かろうじて残った車両を駆使し、その日の24時には配備を完了させた。

 正門は水没していたが、常日頃、「必要なのか? これ」と言われていた雑草だらけの非常門が役に立った。先輩たちが残してくれた知恵なのか、必ずどこかに活路があるものだと救われた思いだった。

 そして、夜が明けた。

 「連隊長! ふたりが戻りました!」

 目の前に現れたのは、ずぶ濡れになった2人の隊員だった。

 ■さくらばやし・みさ 1970年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。震災後、防衛省に加え、被災地を何度も取材した。著書に「海をひらく−知られざる掃海部隊」「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「終わらないラブレター−祖父母たちが語る『もうひとつの戦争体験』」(PHP研究所)など。

 

注目情報(PR)