操縦士が無線で絶叫「津波です!ものすごい…」

★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」

2011.05.30

 おそらく最も早かったはずだ。

 「これは大きいぞ!」

 陸上自衛隊霞目駐屯地に所在する東北方面航空隊の操縦士は、すさまじい揺れに襲われたその瞬間に庁舎を飛び出した。

 震度5弱以上の地震が起きた場合、即座に情報収集に出ることになっていたのだ。立っていられない程だったが、まだ揺れている中でエンジンを回しエプロン(駐機場)のUH−1に乗り込んだ。管制と緊迫したやりとりを交わして素早く離陸。時刻は1501だった。

 雪が降り始め、視界が悪い。しかし、映像伝送(ヘリ映伝)は極めて重要な任務だ。地上の様子を詳細に伝えなければならない。眼下には、卒業式が行われていた学校だろうか、たくさんの車が校庭に見える。

 急いで車で帰ろうとする親子連れの姿に、「わが妻と子はどうしただろうか」と一瞬、頭をよぎったが、津波を告げる無線にハッとした。海に目をやると、不気味に潮が引き、向こうから大きな波涛(はとう)がぐんぐんと近付いて来る。

 「津波です! ものすごい津波です!」

 われ知らず絶叫に近い声でその状況を伝えていた。波は瞬く間に家屋も車ものみ込んでいった。

 その時、救援活動のためさまざまな航空機が東北に向かっていた。

 「松島基地も仙台空港も使えないらしい。とにかく霞目を目指せ!」

 自衛隊機だけでなく、民間、警察、消防のヘリなどが飛来する。その数は平時の10倍に及んだ。

 「小学校の屋上に子供たちがいる!」

 雪は降り続け、日は落ちてくる。あたりは停電で真っ暗闇となったが、懸命に手を振っている所にヘリが接近。ホバリングしながらホイストで降下する救助を何度も何度も繰り返した。夜通し飛び続け、日の出までに169人を救出した。

 管制ではひっきりなしに指示を出し続けるので声はガラガラになっていた。救助した人は、避難所が決まるまで駐屯地に運び込んだ。

 給油も、通常は民間機に対してはできないが今回は認められ、エンジンを止めずに入れる「ホットリフューエル」を絶え間なく行った。

 食糧は全て被災者に配り、自分たちはそれから毎日カンパンでしのいだ。ずぶぬれになった人に私服のジャージーを差し出す隊員もいた。相手がどうしてほしいのか常に考えている、整備など後方隊員のスピリッツが生きた。

 使命感を持って飛び続ける者、それを支える者、彼らのホットリフューエルは被災者も救ったのだ。

 【さくらばやし・みさ】 1970年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。震災後、防衛省に加え、被災地を何度も取材した。著書に「海をひらく−知られざる掃海部隊」「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「終わらないラブレター−祖父母たちが語る『もうひとつの戦争体験』」(PHP研究所)など。

 

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