悲しみの被災者もノリノリ…米軍に見た「日本人の心」

★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」

2011.06.02

 加藤喬・元大尉は、テレビ画面に映し出される未曾有の大災害に目を奪われた。都立新宿高校を卒業後、1979年に渡米し陸軍に入隊。その後、米国防総省外国語学校日本語学部長を務めている。

 今日から、そこでの教え子たちが大忙しになることは間違いない…。

 携帯電話もメールもなく、街には電話ボックスがたくさんあった時代。記憶に残っているのは、そんな日本の光景だ。それゆえ教え子たちは、言語だけでない、そのころの日本にあった価値観も身に付けることになった。

 そして、そのことは言語力以上に欠かせないという思いもあった。真の「トモダチ」として−。

 被災し、孤立した宮城県気仙沼市大島では、毎朝夕、海兵隊員による行軍があった。宿泊所から作業現場の徒歩30分の道のりを、島の人が車を使ってくれと言ったが、「ガソリンがもったいない」と丁重に辞退したのだ。

 惨状に涙を流しながらも、漁師さんが使う漁具、アルバム、ぬいぐるみ、持ち主にとって、大事な物や思い出の品は、誰に言われるまでもなく丁寧に泥を拭って並べ置く。それは、学校や駅のがれき除去などいずれの場所においても同様だった。

 「正直言って驚きました。彼らが撤収した後、ゴミが散乱しているに違いないと宿舎を掃除しに行ったんですが、全く違ったんです」

 米軍と人々の間に入って調整にあたった自衛官たちは、大掃除を覚悟していってみたところ、予想に反し部屋がピカピカだったことに驚愕した。

 「おい、ここに本当に米軍がいたのか?」

 冗談交じりに誰かが言ったほどだった。

 さらなる発見もあった。

 「彼らには、自衛隊ではマネできない能力があります」

 避難所で行われた演奏会。米軍楽隊の華やかさとノリの良さに、人々はちょっと戸惑った。しかし、そのうち遠巻きに見ていた人たちがだんだんと近付いてきたと思うと、いつの間にか手拍子が起こり、気付くと70歳くらいのおばあちゃんが一緒にツイストを踊り出した。ご主人を亡くし悲しみに暮れていたご婦人までも踊り出し、いつの間にか階段の上まで長い行列ができ上がった。

 震災発生直後から、在日米軍司令部でも全軍人が、戦闘服姿となり24時間体制で対処にあたった「史上最大の作戦」。

 「友のために」

 そんな、忘れていた言葉を思い出させてくれた彼らのバックグラウンドに息づくのは、30年以上前の日本人の心…。

 そんな仮説も面白い。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。震災後、防衛省に加え、被災地を何度も取材した。著書に「海をひらく−知られざる掃海部隊」「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「終わらないラブレター−祖父母たちが語る『もうひとつの戦争体験』」(PHP研究所)など。

 

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