「悲しみを最小限に」と医師と自衛官のミッション

★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」

2011.06.03

 「生まれ育った場所に帰してあげたいんです」

 その医師は、力を込めた。岩手県のある病院が震災で全壊し、入院中のお年寄りが被災。2人の死亡者が出た。一命をとりとめた1人のご婦人は、骨折し心不全を発症していたため、北海道の病院に運ばれたが、家族は避難所にいたため離れ離れになったのだ。

 やがて、岩手の病院は復旧したが、常時、酸素ボンベが必要なご婦人を北海道から移送するのは危険な状態だった。

 そこで担当医が着目したのが、航空自衛隊が持つ「機動衛生ユニット」だった。これは、簡単に言えば大病院のICUがそのまま移動できるような設備で、国際貢献に出た自衛隊が負傷した際に使えるよう装備していたものだ。C−130輸送機によりユニットごと搬入・運搬できる。

 空自では、2006年に導入されたが、実際に運用されたことはなかった。この存在を知っていた医師による粘り強い働きかけと、それを意気に感じた空自による協力で、ご婦人の移送作戦が実施されることになったのだ。

 「家族と一緒にいさせてあげたい」

 国際活動に向けた最新機器のデビュー戦は、思いがけず、そんな人助けのミッションとなった。

 とはいえ、その医師や自衛官はいわば親の死に目に会えない仕事である。

 壊滅的な被害を受けた空自松島基地。全国の空自隊員が支援に駆けつけ、石川県の小松基地から派遣されたある空曹も「ぜひ、力になりたい」と強く望んで来ていた。

 しかし、派遣中に実家宮崎県の父親が急死。以前から、体調を崩してはいたものの、「まさか」という心境だった。

 自衛官は、肉親が亡くなっても任務への使命感から活動を続ける者も多く、まして松島には被災した隊員もたくさんいる。空曹は戸惑った。

 しかし、それを知った杉山・松島基地司令は「葬儀に出るように」と、羽田空港までの車両を手配した。そして、作業服しかなかった彼に自分のスーツと靴を手渡した。

 「持っていた服は全部流されたが、これだけは、司令室にあって無事だったんだ。サイズが合えばいいが…」

 袖を通すとピッタリ合う。「ありがとうございます!」。彼は何度も頭を下げて飛び出し、実家へ向かった。

 この震災で、多くの人々が最後の別れもできぬまま肉親や家族と死別した。医師や自衛官は、その悲しみを最小限にとどめたいと思っている人たちなのだ。

 ■さくらばやし・みさ 1970年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。震災後、防衛省に加え、被災地を何度も取材した。著書に「海をひらく−知られざる掃海部隊」「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「終わらないラブレター−祖父母たちが語る『もうひとつの戦争体験』」(PHP研究所)など。

 

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