喜ばしいながらも複雑な思い「自衛官になりたい」

★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」

2011.06.10

 「なぜ、すぐ引き返せと言わなかったのか…」

 陸曹の最後の電話を受けた案内所の所長は悔やみ、それから行方不明となった部下を探し続ける日々が始まった。

 「まだ亡くなったと決まったわけじゃない…」

 連絡が取れなかったんですと、ひょっこりと彼が現れるのではないか、そんな期待をしながら、毎日あらゆる病院や避難所を探し回った。

 そのうち、住民を守るため彼のとった行動が明らかになってくる。学校で子供たちを最後まで避難させている姿を見たという先生もいた。極限状態の中でも、彼が自衛官として懸命に務めを果たしていたことが分かった。

 くしくも、彼の出身部隊である方面特科隊(砲兵)が最後に目撃された付近に派遣され、かつての仲間たちによる捜索活動も行われた。

 やがて車が発見される。しかし、所持品は遠方に流されていた。津波のすさまじさを物語っていた。

 所長は遺体安置所に足を運ぶようになる。安置所にはご遺体の写真が掲示されている所と、その特徴を文章で貼り出している所があった。

 「見つかってほしい!」。しかし、「本人であってほしくない」

 両方の思いが交錯しながら数々のご遺体と対面するも、発見には至らなかった。

 震災以来、避難所に入っていた彼の奥さんと2人の子供たちのことも気になった。残された家族を励まさねばならない立場だが、かける言葉が見つからない。ローンや保険料の支払いをストップするなど、支援できることは全てやった。

 「なんとしても自分が探し出す」

 その一念で、来る日も来る日もご遺体の確認をし続ける心情を仲間たちは案じたが、黙ってその後ろ姿を送り出すしかなかった。

 そして、震災から3カ月近くたとうとしたとき。「発見、されました…」

 警察からの通報があり、本人を確認したと、震える声で所長から宮城地方協力本部に報告があった。6月3日だった。執念の再会だった。

 宮城地本では、震災発生後から色々な変化が起きている。

 「とにかく電話が増えてるんです」

 自衛隊についてのさまざまな問い合わせだ。最も多いのは「自衛官になりたい」というものだという。電話を受ける彼らは、喜ばしいながらも複雑な思いになる。心中には、志半ばで倒れた仲間のこと。

 そして、この春、希望に満ちあふれ、後輩になるはずだった若者たちのことがある−。

 ■さくらばやし・みさ 1970年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。震災後、防衛省に加え、被災地を何度も取材した。著書に「海をひらく−知られざる掃海部隊」「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「終わらないラブレター−祖父母たちが語る『もうひとつの戦争体験』」(PHP研究所)など。

 

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