もっと苦しい人がいる…立ち上がろう!

2011.09.07

 「これは、相当な時間がかかりそうだ…」

 自衛隊が装備する12・7ミリ〜35ミリの銃砲弾などを製造する日本工機の製造所長は、甚大な被害と向き合わなければならなかった。

 それも、ただ復旧作業をすればいいというものではない、元通りの、火薬取締り法や武器等製造法に合致した姿にしなければならないのである。

 倒れた電信柱、広大な敷地内の崩壊した土手…。なにしろ、テーブル1つ動かすだけでも許可が必要なのだから、この作業にはとてつもなく骨が折れ時間がかかることは想像に難くない。

 そんな時、自衛隊や取引先から安否確認の問い合わせが入り始めた。福島の従業員たちは奮い立った。

 「われわれは国民の安心のため、これまでやってきた。元気がなくてどうする!」

 落ち込んでいる暇はない。来る日も来る日も、従業員総出の復旧作業が始まった。彼ら自身が土木作業をし、重機も使う。こうしたことができるのには実はワケがあった。

 それは、1998年に福島県に大きな被害をもたらした豪雨災害の経験が大きい。災害時は周辺みな被災者となり、作業を業者に頼りきりになることはできないためだ。

 「自分たちの手で立ち直る『自立型』を意識してきたんです」

 この判断が、今回生きた。倉庫内の製品も一部、落下したものの、整然と積まれていたせいなのか、被害が少なかったことも幸いした。

 こうして猛スピードで復旧が進み、震災直後の見積もりよりもかなり早く出荷が可能になっていった。

 ところが、好事魔多し。「こんどは、また雨か…」

 7月30日、またも記録的な豪雨に見舞われることになる。作業すらできない。ここ数カ月の努力をあざ笑うような雨に歯噛みするしかなかった。とにかく、行く手を阻むものが多すぎる。相変わらず収まらない余震に電力規制…。試練だった。

 年度末だったことで、すでに納期遅延が発生し、大幅な年度売り上げ減となっていたが、その上、今後の計画も立てられない。

 しかし、所長は改めて考えてみた。危険物を取り扱うメーカーにとって、出火がなかったことは不幸中の幸いだった。東北にはもっと苦しい思いをしている人がいる。やはり、立ち上がるしか道はないと。それは関係者共通の思いだった。

 そして、同社にそう決心させたのには、もう1つの理由があった。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京生まれ。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)など。

 ■人気連載「誰かのために」が9月10日、「日本に自衛隊がいてよかった」(桜林美佐著、産経新聞出版)として発売

 

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