工場を失った喪失感の中ただ、謝ることしかできず

2011.09.09

 見たこともない大波が、ついさっきまで自分たちが働いていた工場に近付いていた。

 バキバキという音をたてながら建物という建物をのみ込んでいる。電柱も乗用車もトレーラーも巻き込んで、まるでおもちゃのようだった。その中には自分たちの車もあった。

 従業員たちは高台から全てを見ていたが、誰一人、声を上げることもなかった。近所の水産工場がいとも簡単に流され、その激流はさらに水かさを増し、A社に襲いかかった。

 「ああっ」という声だけで、後は沈黙した。何が起きたのか、にわかに理解できなかった。

 津波は高台の半分くらいまで迫ってきたかと思うと、今度はガラガラというすさまじい音をさせて瓦礫とともに引いていく。

 屋根の上に避難していた人が「助けて!」と手を振りながら流されていくのに、どうすることもできなかった。

 引き波が止むと、雪が降ってきた。

 不安が募るが、工場長はそのまま下に行かないよう指示した。空のドラム缶が転がっていたので板を集め、火をおこして暖をとった。

 従業員を車で脱出させれば、車が流されずにすんだのではないか。せめて貴重品を取りに戻らせれば良かったのではないか。工場長は自責の念に駆られていた。

 「本当にすまなかった」

 そうわびたが、自分の車を惜しんでいる者はひとりもいなかった。

 「車に乗っていたら家(海岸方面)に戻っていただろうし、行かなくてよかったんですよ」

 逆になぐさめられ、胸が詰まった。

 壮絶な1日が過ぎた。その後、従業員の家族や、先に車で帰した2人の女性の無事も分かり工場長を安堵させたが、当日、外出していた同社社長が大ケガを負っていたことも分かった。

 外出先で被災したが、工場が気になり戻ろうとして津波に襲われたのだ。

 電信柱にしがみついて危機一髪の難を逃れたものの、その際に負傷し指を切断することになってしまったのだ。

 「命があっただけでも…」

 とは言うものの、社長がそうまでして守ろうとした工場や製品が流されていくのを、ただ見ているしかなかったことがひどく悔やまれた。

 「大変、申し訳ありませんでした」

 プライム企業である銃砲弾メーカー日本工機に連絡した。工場を失った喪失感の中で、ただ謝ることしかできなかった。=つづく

■桜林美佐(さくらばやし・みさ)1970年、東京生まれ。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)など。

■人気連載「誰かのために」が9月10日、「日本に自衛隊がいてよかった」(桜林美佐著、産経新聞出版)として発売

 

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