“小糸製作所”株買い占めの真相

2012.06.13


ブーン・ピケンズ氏【拡大】

 わが麻布自動車グループの後ろ盾になってくれていた三井信託銀行(現三井住友信託銀行)の中島健社長は、1990年1月、ゴルフ直後に倒れ、心筋梗塞で亡くなった。青山斎場で行われた葬儀には、週刊誌などの記者が多数集まって、私のことをマークしていた。

 というのも、当時、私はトヨタなどへの自動車部品供給会社「小糸製作所」の株買い占め事件で“時の人”になっていたからだ。それも、米国の有名なグリーンメーラー(乗っ取り屋のこと)のブーン・ピケンズ氏と組んだことから、「買い占め屋」という悪名を世間にとどろかせてしまった。

 いきさつはこうだ。88年夏、小糸製作所を創業した小糸家の女婿の公認会計士から「小糸株500万株を肩代わりしてほしい」と頼まれた。「トヨタが買い戻すから損はしない」の話にも心が動き、単価2500円で125億円を肩代わりした。

 この女婿氏と小糸製作所を訪ね、副社長らと話したとき、「小谷光浩氏が株を大量に所有している。協力してほしい」と言われ、びっくりした。

 仕手集団「光進」の小谷代表は兜町の帝王ともいわれ、蛇の目ミシン工業恐喝事件などで知られた人物。その小谷氏が小糸の株を買い占めていることは知らなかった。

 結局、この2000万株も買い取った。資金は中島社長の三井信託銀行が提供してくれた。

 この大量の小糸株を買い取ってもらう相手はトヨタしかいない。しかし、トヨタとの交渉は簡単には進まなかった。そんなとき登場したのが、ピケンズ氏だった。米国はテキサスの広大な牧場の中にあるピケンズ氏の邸宅で株取引の交渉をした。

 その後、私は本気で小糸製作所の株を買い集め、91年までに34%取得した。これはピケンズ氏が「34%でなきゃダメだ」と条件を出したから。総額は金利を含めると2000億円くらいだった。

 ピケンズ氏は買い占めた株を、これまたトヨタに高値で買い取らせようとした。グリーンメーラーらしいやり口だった。しかし、この手法は非難を浴び、私も加担したということでたたかれた。

 その後、ピケンズ氏は金を払わず、買い取った株をすべて麻布グループに戻してきた。結局、この騒動で1000億円ほど損をした。株はハッタリやだましの世界。私には向いていなかった。

 −−小糸製作所の騒動の最中に行われた中島さんの葬儀では、三井信託銀行の会長らが週刊誌に追われる私に気を使って、裏から出るようにしてくれた。

 バブル経済崩壊は刻一刻と迫ってきていた。(次回は「三井信託との抗争」編)

 ■渡辺喜太郎(わたなべ・きたろう) 麻布自動車元会長。1934年、東京・深川生まれ。22歳で自動車販売会社を設立。不動産業にも進出し、港区に165カ所の土地や建物、ハワイに6つの高級ホテルなど所有し、資産55億ドルで「世界6位」の大富豪に。しかし、バブル崩壊で資産を処分、債務整理を終えた。現在は講演活動などを行っている。著書に『人の絆が逆境を乗り越える』(ファーストプレス)。

 

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