モーツァルトの残した“音楽の街”

★ザルツブルク(オーストリア)

2012.10.26


ザルツブルク音楽祭で知られる祝祭大劇場【拡大】

 芸術の秋ということで先日、サントリーホールに行きましたが、ホールの前の広場は「アーク・カラヤン広場」と呼ばれ、ホール設計時にアドバイスを与えた往年の名指揮者、故ヘルベルト・フォン・カラヤンの名を冠しています。そこで今回はそのカラヤンの故郷であり、モーツァルトの出生地としても名高いザルツブルクの世界遺産をご紹介します。

 ザルツブルクといえば、毎年夏に開かれる音楽祭が有名ですが、これはモーツァルトを記念して開かれるようになったもので、ウィーン・フィルをはじめ、世界に名だたるオーケストラや歌劇団、指揮者などが集い、世界でも注目を浴びる音楽祭の一つです。1956年に音楽祭芸術監督に就任したカラヤンは、音楽祭の諸改革や新機軸を次々に打ち出し、祝祭大劇場の建築も主導しました。

 この祝祭大劇場はかの「サウンド・オブ・ミュージック」のクライマックスで登場して有名になりました。すなわちトラップファミリーがコンテストで歌う名場面ですが、消え行くオーストリアをしのび、ナチスに抵抗する歌「エーデルワイス」は心に残る名曲かと思います。

 また、ザルツブルクは「塩の城」という呼称からも推察できますが、紀元前より岩塩の交易によって栄えてきた街です。しかし9世紀に司教座が置かれてからは司教都市となり、13世紀後半には大司教の支配する一侯国となりました。

 その象徴がメンヒスベルク山にそびえるホーエンザルツブルク城です。15世紀までは大司教の住居、それ以後は監獄または兵舎として利用されましたが、外敵に占領されたことは一度もなく、ヨーロッパ中世の城としては完璧に保存された貴重な遺産の一つです。

 音楽の神童ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが生まれた家は、ゲトライデ通り9番地にありますが、彼は21歳でザルツブルクでの宮廷作曲家の職を辞してこの地を去っています。その理由は当時の「大司教の街」には音楽をたしなむ有力者が少なかったからだといわれています。 

 しかし、今や世界中の音楽ファンがここザルツブルクに集い、音楽祭で彼の曲を聴くと「モーツァルトが戻って来た」ように感じます。私はザルツブルクの本当の世界遺産は、大司教の残した建造物ではなく、モーツァルトの残した永遠不滅の音楽だと思います。

 ■黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ) 慶應義塾大学経済学部卒。現在、クラブツーリズム(株)テーマ旅行部顧問として旅の文化カレッジ「世界遺産講座」を担当し、旅について熱く語る。 

 

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