CMソング 世界最古は「フニクリ・フニクラ」

2013.10.01

 日本のラジオ放送は1925(大正14)年7月、社団法人東京放送局(NHK)の本放送ではじまる。一方、民間放送は1951(昭和26)年に開局、初のCMは中部日本放送の時報で「精工舎の時計が、ただ今、7時をお知らせしました」というものだった。

 そして、その数日後、はじめて歌を使ったCMが流された。小西六写真工業(現コニカミノルタ)の「僕はアマチュアカメラマン」(三木鶏郎作詩・作曲)で歌は灰田勝彦。これがわが国初のCMソングといわれるが、実はラジオのない時代にもCMソングがあった。1901(明治34)年ごろ、たばこの販売をめぐって激しい広告合戦を演じていた岩谷松平と村井吉兵衛の双方がCMソングを作っていた。岩谷は当時流行っていた「東雲節」の替え歌で「天狗煙草当世流行節」を、方や村井のCMは「さのさ節」の替え歌だった。

 有名な「ちゃっきり節」もCMソングで、1927(昭和2)年に静岡電気鉄道(現・静岡鉄道)が静岡近郊に開園した狐ヶ崎遊園地(後の狐ヶ崎ヤングランド/現在は閉園)のPRのため北原白秋に作詞を依頼して作ったものだ。また、フランク永井の大ヒット曲「有楽町で逢いましょう」も有楽町そごうのCMソングだ。

 世界最古のCMソングといわれているのは、イタリアのヴェスヴィオ火山登山鉄道が1880(明治13)年に作った「フニクリ・フニクラ」で、時々テレビで流れる福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」のCMソングはその替え歌だ。

 ■『仕事のヒント』

 CMソングの初期に活躍した三木鶏郎は「明るいナショナル」「ミツワ石鹸」などを作ったことで知られるが、三木が立ち上げた「冗談工房」には、永六輔、野坂昭如、いずみたくら蒼々たるメンバーが在籍していた。漫画家の手塚治虫のいた「トキワ荘」にも赤塚不二夫や藤子不二雄、石ノ森章太郎といった才能のある漫画家たちがいた。

 このように優れたリーダーがいる所には多彩な人材がいる。それが、大学などの研究所なのか、建築事務所なのか、いろいろなネットワークで探し当て、彼らの能力を自社のプラスに生かすような人脈づくりも将来を見据えた重要な仕事ではないか。 (広告・イベント研究家 熊野卓司) 

 

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