111年の歴史を刻む資生堂パーラー 常に革新的なメニューを提供

2013.10.03

 1872(明治5)年、銀座に洋風の調剤薬局として福原有信が「資生堂薬局」を開業したのが資生堂の始まりである。

 「すべてのことはリッチでなければならない」と言った有信の三男、福原信三が初代社長となる。信三のこの言葉は、資生堂の哲学となった。

 1902(明治35)年、資生堂薬局内に開設された資生堂パーラーの前身である「資生堂ソーダファウンテン」には信三の哲学が生きていた。欧米視察で目にしたアメリカのドラッグストアを模して作ったこの店で、当時の日本ではまだ珍しかったアイスクリームやソーダ水を供した。ソーダ水の製造機をはじめ、コップからストローにいたるまで全てアメリカから輸入し、現地のテイストにこだわったのである。

 化粧品で有名な資生堂だが、化粧品部ができたのが1916(大正5)年。パーラーの方が歴史は古いのである。

 28(昭和3)年に「資生堂アイスクリームパーラー」と改称、伝統的な一品となったカレーライスやチキンライスなど本格的な洋食がメニューに加えられ、銀座を闊歩(かっぽ)したモボ・モガの評判を呼び、新橋芸者衆をも魅了した。

 「資生堂パーラー」になったのは54(昭和29)年。ここで見合いをし結婚したという祖母の昔話を聞いた孫娘が、初給料で祖母の思い出の店でごちそうした、というエピソードがある。

 「今でも、レストランはお見合いの席として多くのお客さまにご利用いただいています。また、個室は両家顔合わせの場所としても利用されています」というのは、資生堂パーラー現社長の鈴木真さん(53)。いつしか資生堂パーラーは「お見合いの成功率が高い」という伝説も生まれた。

 昭和初期のメニューには「エッグス各種」と記されていたほど、資生堂パーラーの卵料理はバリエーションが豊富だった。元々は裏メニューだった黄金色に輝く半熟オムライスは伝統の味だが、この10月限定メニューに、お米で育った黄身の白い卵を使った「白いオムライス」(2800円)が登場。

 「常に革新的なメニューを提供することで伝統を築き上げ、ブランドを維持していくことが最も大切」と、鈴木さんはほほ笑む。

 福原信三のDNAは、今も息づいている。(谷口和巳)

 ◆資生堂パーラー銀座本店 東京都中央区銀座8の8の3 (電)03・5537・6241

 ■谷口和巳(たにぐち・かずみ) 団塊世代の編集者。4つの出版社を転籍、19の雑誌に携わり、編集長として4誌を創刊。団塊世代向け月刊誌『ゴーギャン』元編集長。『女優森光子 大正・昭和・平成−八十八年激動の軌跡−』『帝国ホテルの流儀』(共に集英社)などの書籍も手掛ける。

 

注目情報(PR)

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

実践で使える英会話を習得!業界最高峰の講師がサポートします。毎日話せて月5000円《まずは無料体験へ》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

サンスポ予想王TV

競馬などギャンブルの予想情報を一手にまとめたサイト。充実のレース情報で、勝利馬券をゲットしましょう!