洋画商の草分け「日動画廊」 85年間のエスプリ

2013.10.31

 1933(昭和8)年11月のある日、銀座の日動画廊にふらりと入ってきたのは、海外生活を切り上げて帰国したばかりの藤田嗣治(つぐはる)だった。

 これが縁で翌年2月、「藤田嗣治画伯 新帰朝第一回展覧会」が日動画廊で開催された。フランスではエコール・ド・パリの旗手として藤田画伯はすでに世界的な画家であった。

 「藤田さんは話をしているときも絶えず手を動かしていて、コースターの裏にデッサンを描きつけていた」と創業者・長谷川仁の思い出話を幼い頃から聞かされて育ったのが、2代目長谷川徳七さん(74)である。

 日動画廊は1928(昭和3)年、牧師だった長谷川仁が、親友の弟が画家だったことから「名作をより多くの人たちに」と、たった2点の絵を抱えて“風呂敷画商”からスタートしたという。31(昭和6)年に当時の日本動産火災保険ビルの1階を間借りしたことで日動画廊とした。

 45(昭和20)年8月の末、戦禍を免れた画廊の前に進駐軍のジープがずらっと並んだ。GHQからの「絵を300枚用意するように」しかも「100枚は静物画、100枚は風景」という注文だった。

 徳七少年は「ジープの縦列に驚いた」そうだが、終戦直後に絵の大量発注と、その指定の細かさに「文化度が違う。日本の軍隊なら、まず、宿舎に絵を飾ろうとは思わないだろう」と振り返る。

 69(昭和44)年1月29日、「藤田死す」の訃報が届いた。病床の父に代わり、副社長でもある智恵子夫人とパリに飛んだ徳七さんは、それから1カ月の間、悲嘆にくれる君代夫人のもとに夫婦そろって毎日通ったという。

 夫人でさえ足を踏み入れることがなかった藤田のアトリエで、徳七さんは「藤田の面影、仕事のリズム、息づかいを全身で感じた」と述懐する。贋作が出回る美術界にあって、「藤田の絵は3秒もその絵の前に立てば」真がんがわかるという。作家との魂の交流があってこその鑑定眼である。

 ダリ、シャガールら世界の画家30人に取材した『「美」の巨匠たち』(講談社刊)のなかで、智恵子さんはミロに「生命力に満ちた本物であるものは、すべて美しい」と語らせた。

 画廊はその「すべて1点ものの本物に出合える場所」(智恵子さん)なのである。 (谷口和巳)

 ◆日動画廊 東京都中央区銀座5の3の16 (電)03・3571・2553

 ■たにぐち・かずみ 団塊世代の編集者。4つの出版社を転籍、19の雑誌に携わり、編集長として4誌を創刊。団塊世代向け月刊誌『ゴーギャン』元編集長。『女優森光子 大正・昭和・平成−八十八年激動の軌跡−』『帝国ホテルの流儀』(共に集英社)などの書籍も手掛ける。

 

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