253年続く老舗の“おもてなし”文化 軍鶏料理専門店「玉ひで」

2013.11.07

 1760(宝暦10)年、徳川将軍家に出仕する御鷹匠(おたかじょう)の家に生まれた山田鐡右衛門(てつえもん)が“御鷹匠仕事”をしながら、妻たまと共に軍鶏専門の店を日本橋に出したのが始まりである。屋号は夫婦の名をとって「玉鐡」とした。

 御鷹匠仕事とは、将軍家の前で“鶴”を切る格式の高い包丁さばきをいい、一滴の血を見せることなく骨と身に切り分け、肉に手を触れずに薄く切る練達の秘法。

 創業時から「喧嘩鳥」と言われた軍鶏を扱い、店に出すのは若い雄の軍鶏肉であった。

 1860(万延元)年幕末の頃の鷹匠制度廃止を機に、3代目鐡之助は御鷹匠仕事の職を幕府に返上、以後一子善次郎と共に軍鶏なべ専門の店に専念する。

 江戸時代だけで100年以上の歴史がある玉鐡は、その間、店の従業員は住み込みの3食付きで給金はなし、チップが唯一の収入源だったという。だから、店員は自然と「おもてなし」のワザを身に付けたのだろう。

 3代目鐡之助、4代目善次郎の時代、江戸の名店番付では常に5番以内にランクされていた。1875(明治8)年に刊行された「東京牛肉・しゃも流行見世」では、玉鐡はすでに老舗であった。

 1897(明治30)年に5代目を継承した秀吉は近所界隈(かいわい)の人気者で「玉鐡の秀さん」と親しまれていたことで、いつしか「玉ひで」となった。「親子丼発祥の店」としても有名だが、品書きに登場したのは秀吉の妻とくの創案による。

 1998(平成10)年に8代目を継いだ耕之亮(こうのすけ)さん(51)の座右の銘は「無用の用」だという。現在の玉ひでは築55年。代々「下足番がいて、お帳場があって、住み込みの店員がいた。子供の頃には、店内に客用の風呂場があり、浴衣まであった。その伝統を大切にしたい」と、風呂場と浴衣はなくなったが、お帳場と下足番を残し、住み込みの従業員も4〜5人いる。

 それを耕之亮さんは「無駄なこだわり」と自嘲気味に話す。だが、その「こだわり」こそが日本の伝統文化そのものなのである。

 小学校の卒業文集に耕之亮さんは「玉ひでを継ぐんだ」と書いた。

 創業253年、一子相伝“江戸の味”を満喫したい。 (谷口和巳) 

 ◆玉ひで 東京都中央区日本橋人形町1の17の10 (電)03・3668・7651

 ■たにぐち・かずみ 団塊世代の編集者。4つの出版社を転籍、19の雑誌に携わり、編集長として4誌を創刊。団塊世代向け月刊誌『ゴーギャン』元編集長。『女優森光子 大正・昭和・平成−八十八年激動の軌跡−』『帝国ホテルの流儀』(共に集英社)などの書籍も手掛ける。

 

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