海老蔵愛用の“新富形の足袋” 足袋・和装雑貨「大野屋總本店」

2013.11.14

 「舞えば足もと、語れば目もと、足袋は大野屋新富形」と都都逸にも謡われる大野屋總本店の創業は、江戸・安永年間(1772〜80年)。

 「初代福島美代吉が三田に開いた装束仕立屋が始まりです。それが何年だったか、古文書にはただ安永年間とだけ書かれています」というのは、7代目当主の福島茂雄さん(45)。

 1849(嘉永2)年に現在の新富町に移転。72(明治5)年に新富座ができ、木挽町に歌舞伎座が誕生したのは89(明治22)年のこと。

 5代目福太郎が創案した「新富形」の足袋が歌舞伎役者の評判を呼び、大野屋の名を不動のものにする。

 新富形とは、「舞台で足幅が細く、小さく、きれいに見えるように底の幅を狭くしてあり、表の生地はたっぷりとって足の甲を包み込むことで、足をより細く見せる」のが特徴。ふっくらと丸く仕上げた爪先の部分にもシワにならない工夫を施す。

 市川海老蔵が『助六』の舞台で使った黄色地の足袋は、甲の部分を大胆にカットして足が細長く見えるばかりでなく、なんと足袋そのものも芸術品のように美しい。

 足袋はまず採寸から始まり、「底」、「親指(側)」、「四つ指」と呼ぶ小指側の3つのパーツに型紙を起こす。型紙に合わせて生地を裁断、こはぜ(留め具)付け、端縫い、甲縫い、尻止縫い、爪先縫いなどいくつもの工程を経る。

 大正時代になってミシンを使い始めたのだが、その当時の「丸く縫えるミシンを今も大事に使用しています」という。

 でき上がった足袋を木型にはめて木槌でたたきなじませる。掛け糸があたってもこれで痛くならなくなる。こうした念入りの手作業の末に1足が完成する。こはぜの1枚には「新富町大野屋」の刻印が入る。長谷川一夫、美空ひばりなど著名人の名もある型紙は、数百人分に及ぶ。

 木造2階建ての店は関東大震災後に建てられたもので、地下には太平洋戦争中に造られた鉄扉の付いた防空壕(ごう)が今でも物置として残っている。同じ建物内に仕事場があり、約10人の熟練職人が、日に70〜80足の足袋を作る。白足袋3465円から。“おしゃれは足もとから”こそ、江戸の粋である。  (谷口和巳)

 ◆大野屋總本店 東京都中央区新富2の2の1 (電)03・3551・0896

 ■たにぐち・かずみ 団塊世代の編集者。4つの出版社を転籍、19の雑誌に携わり、編集長として4誌を創刊。団塊世代向け月刊誌『ゴーギャン』元編集長。『女優森光子 大正・昭和・平成−八十八年激動の軌跡−』『帝国ホテルの流儀』(共に集英社)などの書籍も手掛ける。

 

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