激動の昭和生き抜いた110年「日比谷松本楼」

2013.11.28

 1903(明治36)年6月1日、日比谷松本楼は日本初の西洋式公園である日比谷公園の開園とともに創業した。公園内レストランの公募に、銀座で割烹(かっぽう)料亭を営んでいた小坂梅吉が応募したのだ。

 「日比谷公園生まれの日比谷公園育ち。公園内にあった日比谷幼稚園、銀座の泰明小学校に通った」というのは3代目の小坂哲瑯さん(81)。

 23(大正12)年9月1日の関東大震災で焼失。再建後の松本楼は、激動の昭和史の中で幾度も時代に翻弄される。

 36(昭和11)年、反乱軍が起こした2・26事件では、鎮圧部隊が日比谷公園に野砲を据えたので避難せざるをえなかった。

 45(昭和20)年3月10日の東京大空襲で東京は焼け野原となったが、松本楼は無事だった。しかし、戦時中は海軍に接収され、戦争が終わったらGHQの高級将校の宿舎となった。店は小坂さん一家の住居でもあったから居住許可は出たが、帰宅の際「自分の家なのに、MPにパスポートをいちいち提示しなければならなかった」と振り返る。

 71(昭和46)年11月19日、松本楼は沖縄返還闘争の学生デモ隊に放火され全焼する。警備員が1人亡くなった。

 その焼け跡に見舞いの一升瓶を手に高齢の女性が佇む。「松本楼がんばれ」の手紙や電話は国内外から1500件を超えた。

 「松本楼は、単にお金をいただいて料理を出す所ではない。思い出も提供していたのだ」。どこかで「家業は水商売」と卑下していた小坂さんの人生を大きく変えたのは「家業の歴史の重さ」だったという。

 73(昭和48)年9月25日に再興、感謝の気持ちを込めて始めたのが恒例の「10円カレー チャリティー」だった。「無料ではお客さまをもてなすことになりませんから」と「10円だけいただき」、売り上げは全額ユニセフに寄付する。

 小坂さんの妻・主和子(すわこ)さんは、辛亥革命を主導した孫文を物心両面で支えた「映画界の風雲児」といわれ日活の創始者でもあった梅屋庄吉の娘・千世子の長女という間柄。歴史の表舞台にも度々登場する松本楼の不思議な縁である。

 人の生き様が一本の歴史を刻み、文化となり、一流へと連なる−そう小坂さんに教わったような気がする。(谷口和巳)

 ■たにぐち・かずみ 団塊世代の編集者。4つの出版社を転籍、19の雑誌に携わり、編集長として4誌を創刊。団塊世代向け月刊誌『ゴーギャン』元編集長。『女優森光子 大正・昭和・平成−八十八年激動の軌跡−』『帝国ホテルの流儀』(共に集英社)などの書籍も手掛ける。

 ◆日比谷松本楼 東京都千代田区日比谷公園1の2 (電)03・3501・1451

 

注目情報(PR)

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

実践で使える英会話を習得!業界最高峰の講師がサポートします。毎日話せて月5000円《まずは無料体験へ》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

サンスポ予想王TV

競馬などギャンブルの予想情報を一手にまとめたサイト。充実のレース情報で、勝利馬券をゲットしましょう!