結城紬の老舗問屋「奥順」 熟練の技で“織りなす”極上品

2013.12.05

 崇神天皇の時代に「長幡部●(=糸へんに施のつくり)(ながはたべのあしぎぬ)」と呼ばれる織物があった。「●(=糸へんに施のつくり)」とは太い絹糸で織った粗布のことで、室町時代には「常陸紬」という名で呼ばれていた。これが結城地方に伝わり結城紬となった。1712(正徳2)年の『和漢三才図絵』には最上級の紬として紹介されている。

 絣(かすり)の結城紬が作られるようになるのは1865(慶応元)年になってから。73(明治6)年のウィーン万国博覧会に出品され、結城紬は世界的に知名度が上がる。1956(昭和31)年に国の重要無形文化財に指定され、2010(平成22)年にはユネスコ無形文化遺産リストにも登録された。

 「世界最高の絹織物である結城紬を後世に伝え、作り手の育成とともにイノベーションにも挑戦する。これが私の使命です」というのは、奥順4代目の奥澤武治さん(68)。

 奥順は、1907(明治40)年、奥澤順一によって創業した結城紬の産地問屋である。

 かつて「衣川」「絹川」とも表現された鬼怒川の栃木、茨城の周辺は養蚕の郷であった。

 約2000個の繭から400枚の真綿を作り、その真綿から指先で捻るようにして1本の糸を紡ぎ出す。職人の指先から紡ぎ出される経糸(縦糸)16キロメートル、緯糸(横糸)14キロメートル、合わせて30キロメートルの糸が1反の生地になる。

 「絣くくり」という結城紬独特の亀甲模様を描き出す工程もまた、気の遠くなるような作業である。亀甲の絣模様に染め上がるように図案に従って1本1本の絹糸を綿糸で縛るのだが、男もので最高の細かさとなる250の亀甲柄だと、1反分の縛りは数万個所以上に及ぶ。この絣くくりだけで優に1年はかかるという。

 糸紡ぎも絣くくりも、糸の太さの均一性、縛る強さの均等性が重要であり、それぞれ1人の職人が担う。こうした熟練の技を要する幾つもの工程を経て結城紬が誕生する。

 経験と勘が頼りの職人が「年々少なくなってきている」のは、日本の伝統工芸産業の抱える問題点である。

 1反550〜650グラム。「軽くて、暖かくて、柔らかい、しかも丈夫」な結城紬の普及に「行っていない県はない」という奥澤さんの、“使命の旅”が続く−−。(谷口和巳)

 ■たにぐち・かずみ 団塊世代の編集者。4つの出版社を転籍、19の雑誌に携わり、編集長として4誌を創刊。団塊世代向け月刊誌『ゴーギャン』元編集長。『女優森光子 大正・昭和・平成−八十八年激動の軌跡−』『帝国ホテルの流儀』(共に集英社)などの書籍も手掛ける。

 ◆奥順 茨城県結城市結城12の2 (電)0296・33・3111

 

注目情報(PR)

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

実践で使える英会話を習得!業界最高峰の講師がサポートします。毎日話せて月5000円《まずは無料体験へ》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

サンスポ予想王TV

競馬などギャンブルの予想情報を一手にまとめたサイト。充実のレース情報で、勝利馬券をゲットしましょう!