韮山城 没するまで居城としていた北条早雲

★韮山城

2014.05.10


韮山城【拡大】

 北条早雲(そううん)こと、伊勢新九郎盛時(いせ・しんくろう・もりとき)は、延徳3(1491)年、韮山(にらやま)御所の堀越公方(ほりごえくぼう)足利茶々丸を滅ぼすと、韮山城(静岡県伊豆の国市)を築城する。

 早雲がこの地に城を構えたのは、鎌倉時代以来の伊豆地方の政治・流通の中心であった韮山を掌握すること。さらに、伊豆半島の付け根にある田方平野全体、東海道の足柄路・箱根路を見渡すことができる要衝であったからだといわれている。

 早雲はこの城を本拠に伊豆地方を制し、やがて相模国(神奈川県)に領土を広げ、小田原城(神奈川県小田原市)を奪う。

 正確には早雲自身が「北条」を名乗ったことはない。北条姓に改姓するのは、跡を継いだ氏綱(うじつな)からだ。また、早雲は小田原城が関東支配の中心となってからも、小田原城に移ることなく、没するまで韮山城を居城とした。

 天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原攻めが始まると、韮山城は北条氏規(うじのり)の指揮下、3カ月の籠城戦の末、最後は徳川家康の説得で開城する。

 氏規は、秀吉に恭順の意を示すため、当主、氏直(うじなお)とともに高野山に蟄居(ちっきょ)する。秀吉は北条氏に河内国(大阪府東部)狭山領を与え、北条氏の子孫は狭山藩として明治維新まで続いていく。

 その後、家康が関東に転封となり、家臣の内藤信成(のぶなり)が韮山城に入城する。慶長6(1601)年、内藤氏が駿府城(静岡県静岡市)に移ると、韮山城は廃城となった。

 現在、韮山城の敷地の大半は、江戸時代の韮山代官、江川太郎左衛門英龍(ひでたつ)の子孫である江川家の所有となっている。周辺には、英龍に関する史跡(代官屋敷など)や、源頼朝(よりとも)の配流の地である蛭ヶ小島(ひるがこじま)がある。

 英龍は、幕末維新の動乱が本格化する前に没したが、代官屋敷の展示を見れば、その事績を詳しく知ることができる。 =次回は淀城(京都市)

 【所在地】静岡県伊豆の国市韮山
 【城地の種類】山城
 【交通アクセス】伊豆箱根鉄道「韮山駅」下車、徒歩約15分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学客員教授、国際地政学研究所研究員。日本の城郭についての論文多数。

 

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