武士の道を捨てて帰農した開拓者・井田是政 北条氏滅亡で失業、先祖代々の土地で再出発

2014.07.18


イラスト・奈日恵太【拡大】

 東京都府中市には、西武多摩川線の是政(これまさ)駅という駅がある。駅名にもなっているこの「是政」の地名の由来となったのは、井田是政という戦国武将である。

 井田氏は、もともと武蔵国の府中に在し、ルーツをたどれば源頼朝が弟の義経を追討した陸奥討伐にも従軍、代々摂津守を自称していたそれなりに名門の家柄だった。戦国時代には関東の有力土豪のひとつとして、府中周辺をまとめており、やがて関東に一大勢力を誇った北条氏に仕えるようになった。ただ、出自としては北条氏よりむしろ格上の存在だったはずである。

 是政は、北条氏照に仕えて北条軍の一員として豊臣秀吉の軍勢と戦ったが、結果はあえなく敗戦。氏照は切腹し、北条氏は滅亡した。失業した是政は、どうにか府中の地に逃れ、生き残るために武士を廃業して帰農する道を選んだ。つまり、武士から農民への転身である。

 実は、大名クラスでなければ、リストラ後に帰農した武将は少なくなかった。是政が帰農した理由は、おそらく先祖代々の土地への愛着が強く、府中を離れたくなかったのだろう。

 だが、彼が本拠とした府中の横山村は、相当な荒れ地だったとみられる。是政はそんな未開拓の地を、まさにゼロからのスタートで懸命に開墾した。やがて農地としての開拓に成功し、村は栄えていった。是政は開拓の父となり、そんな功績をたたえて、この土地は「是政」と呼ばれるようになった。一説には、是政の子・是勝が苦難に耐えて頑張った父の名を残そうと名付けたともいわれている。

 ところで、是政の墓は、ちょっと珍しい場所にある。東京競馬場の第3コーナー付近にある榎の大木(なぜか大ケヤキと呼ばれている)の下にあるのである。競馬ファンには「魔のコーナー」として有名だ。かつて井田氏の子孫の代になって、墓所が行政代執行の対象となったものの、井田氏の子孫が日本刀をふるって抗議したために、史跡として保存されたという逸話がある。

 なお、榎の大木を切った作業員が急死して「墓のたたり」と恐れられたことから、この大木はずっと切られることなく、現在も保存されている。ちなみに「魔のコーナー」といわれるのは、ここが馬の脚への負担が大きくなる場所で、故障を発生する馬が多いからだ。

 是政の墓所は競馬中継の際に必ず画面に映り込むため、「日本一テレビに映される墓」などともいわれている。戦国武将としては、戦場で大きな活躍をしたという記録こそないものの、開拓者として名を残した是政は、間違いなく偉大な人物であった。 (渡辺敏樹/原案・エクスナレッジ)

 

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