三越の岡田さん、日産の塩路さんの援助 面倒を見るのが大好き 

★余計なお節介?編

2014.09.25


岡田茂元社長【拡大】

 人間、弱っているときこそ助けがほしい。しかし、自分のほうからは「助けてくれ」とは言い出しにくい−−。

 この連載に三越の岡田茂元社長は何度か登場しているが、ほかにも知られざる話は多い。岡田さんは1972(昭和47)年に社長に就任後、強引な経営を続け、82年9月の定例取締役会で“クーデター“を起こされた。岡田解任決議案が16対0で可決した瞬間、岡田さんが発した「なぜだ?!」という言葉は流行語になった。

 その後、岡田さんは愛人への利益供与など特別背任容疑で逮捕され、保釈後に赤坂で経営コンサルタントをしていた。経営を引き継いだ市原晃社長陣営からは「岡田を応援する者は、三越から出入り禁止」と強いお達しが出ていた。

 しかし、恩人が困っているのをほっとくわけにはいかない。もうけはほとんどなかったものの、三越と提携したことで「麻布自動車」の名は日本中に知られるようになったからだ。私は頼まれたわけでもないのに、コンサルタント名目で毎月一定額を援助した。ただ、新生・三越とも取引は続けたい。そこで、「梅田」という名を使い、三越にはわからないようにした。

 もうひとり、日産自動車労組委員長で自動車総連の会長も務めた塩路一郎さんは、日産の社長になった石原俊さんと同様、海の仲間だった。この2人、私が仲良くさせようとしたが、労使の溝は埋まらず、抗争を繰り広げていた。

 結局、石原さんは塩路さんの女性問題やヨットを所有する“労働貴族”批判を利用し、すべての役職から退かせた。労働界から引退した塩路さんは、細々とコンピューター関連の仕事を営んでいた。

 そこで、わが「麻布建物」所有のビルにコンピューター・システムを導入してもらった。例えばビルのテナントの名を打ち込むと、家賃収入が出てきて、すぐに経理部に回せるようなシステムだ。三菱電機のコンピューターを入れ、年間2000万円注ぎ込んだが、このシステム、それほど役に立たなかった。

 しかし、これも何かの縁、3年ぐらい続けてもらった。その後、塩路さんは共通の知り合いに「麻布の渡辺さんのところは敷居が高くて行けない」と話していたという。

 このように、昔から、お節介ながら人の面倒をみるのは大好きだった。ある老舗マンション・デベロッパーが倒産し、和議法(2000年の民事再生法施行に伴い廃止)にしたがって、債務を第三者が引き受けるとき、間に入って引き受け人を探し、会社を立て直した。手数料など一銭ももらわなかった。

 また、わが地元の麻布十番になぜか3店ある老舗のソバ屋の独立騒動にも巻き込まれ、間に入って苦労した。このテンマツは別の機会に。

 ■渡辺喜太郎(わたなべ・きたろう) 麻布自動車元会長。1934年、東京・深川生まれ。22歳で自動車販売会社を設立。不動産業にも進出し、港区に165カ所の土地や建物、ハワイに6つの高級ホテルなど所有し、資産55億ドルで「世界6位」の大富豪に。しかし、バブル崩壊で資産を処分、債務整理を終えた。現在は講演活動などを行っている。著書に『人との出会いがカネを生む/ワルの交遊術50』(仁パブリッシング)。

 

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