園部城 明治新政府が築かせた最後の城

★園部城

2014.10.04


園部城【拡大】

 室町時代末期、園部(そのべ)の地は、丹波八上(やかみ)城(兵庫県篠山市)主、波多野(はたの)氏の支配下にあった。波多野氏の全盛期には、七頭、七組、先鋒隊からなる軍事組織を持ち、園部盆地のおさえとなる小麦山に城を築き、家臣の荒木氏を置いていた。

 天正6(1578)年、織田信長から丹波国(京都府中部、兵庫県北東部、大阪府北部)攻略を命じられた明智光秀によって、波多野氏は滅ぼされてしまう。

 元和5(1619)年、小出吉親(こいで・よしちか)が但馬国(兵庫県北部)出石(いずし)から園部に入封し、荒木氏が居城としていた小麦山の山麓に、2年の歳月をかけて築城したのが、園部城(京都府南丹市)である。

 完成した園部城には、天守は築かれず、本丸に大玄関・大広間・大書院からなる御殿を設け、その四隅に2層の櫓を配置した陣屋建ての城であった。このため、園部陣屋と呼ばれていた。

 園部城が歴史の舞台に登場するのは、幕末・明治維新のときだ。戊辰戦争に際し、京都御所の安全が問題視され、明治天皇の退避場所となるご宿所候補にあがったのだ。

 明治新政府の許可を得て、明治元(1868)年から2年の歳月をかけ、櫓門・巽櫓、天守に相当する3層櫓などが築かれ、本格的な城郭として整備された。明治新政府が築かせた最後の城だが、明治5(72)年に廃城となり、ほとんどの建造物が取り壊される。

 現在、園部城跡の大部分は、京都府立園部高校の敷地となっている。同校の敷地内には、巽櫓、櫓門、番所などが現存し、櫓門は同校の正門として使用されている。市内の安楽寺には、太鼓櫓が移築され現存する。

 隣接する園部公園内には、天守風に建てられた国際交流会館と文化博物館があり、園部の古代から現代までの歴史を模型や映像などで紹介している。

  =次回は延岡城(宮崎県延岡市)
 【所在地】京都府南丹市園部町小桜町
 【城地の種類】平山城
 【交通アクセス】JR山陰本線「園部駅」下車、徒歩約20分

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学客員教授、国際地政学研究所研究員。日本の城郭についての論文多数。

 

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